プロ野球選手がタレントに転身するという成功例を作り上げた板東英二(2014年)
定岡正二、パンチ佐藤、長嶋一茂……昭和から現在にかけて、テレビのバラエティ番組で活躍するプロ野球選手は何人もいる。その道を切り開いたのは板東英二(85)と言っていいだろう。プロ野球選手時代のエピソードを振り返った前半記事に続き、板東英二の異色のキャリアとマネー人生を振り返る。【前後編の後編。前編から読む】
中日ドラゴンズのリリーフエースとして活躍した板東は1969年に引退。名古屋で野球解説者として活動しながら、副業のサウナ店経営なども続け、1974年には歌手として中日の応援歌として今も歌い継がれる『燃えよドラゴンズ!』をヒットさせる。そして、“運命の人”と出会う。
「阪神ファンで、関西を拠点にしていた上岡龍太郎さんが板東さんのタレントとしての才能を見抜き、大阪での活動を勧めたそうです。板東さんの喋りは西のほうが合うと見抜いていた」(芸能記者)
解説者を続けながら、大阪でタレントとしても花開いた板東は、東京へ進出。1984年には、『金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?』(TBS系)で初めてドラマに出演。この年には、著書『プロ野球知らなきゃ損する』『プロ野球これだけ知ったらクビになる』(青春出版社)がともに100万部を超えるベストセラーにもなった。
「この2冊は1980年代の書籍売り上げベストテンに入るほど売れました。しかし、不思議なことに板東さんは1984 年の長者番付(高額納税者公示制度)で、俳優・タレント部門やスポーツ部門のベスト20にも名前が出てきません。俳優部門の20位は風間杜夫で3143万円、スポーツ部門の20位は西武の東尾修投手で2211万円でした。本の印税だけで相当な額に上るはずですが、節税対策が上手かったのでしょう」(前出・芸能記者)