「パチンコ」の看板も見かけることが少なくなった(イメージ)
人づきあいの苦手な稲盛に遊びを教えたパチンコ好きの友人
勤勉な青年だった稲盛は、非生産的な遊技に価値を見出せない。むしろ軽侮の対象であった。友人の行為は理解の範疇外。怠惰の象徴にしか見えなかった。自らの関心は学問の探求にのみ向かう。パチンコ台の前に座る時間は苦痛ですらある。友情と義理で付き合うものの、心は図書館にあった。2人の間には、埋めがたい価値観の断絶が横たわっていた。
〈毎日学校と図書館しか行き来していない、下駄を履いてウロウロしている奴を連れてきて、お金を出して社会見聞をさせてくれる。挙げ句の果ては、2回までは見過ごして、3回目には「それがわからんのか」と言わんばかりに、「ちょっと待てよ」と待たせる。わからないものだから、ますますイヤになってくる私に、最後、自分が勝ったお金でうどんをご馳走する。今まで軽蔑していた男が、みるみる大きな人物に見えてくるわけです。私は少しぐらい勉強ができても、なんと貧相でチンチクリンな男よと、衝撃を受けた。〉
〈実はその後、大学4年生のとき、彼と宮崎県の日南にあるパルプ会社に1ヵ月ほど、一緒に実習に行ったことがあるのです。そのときも彼の紹介だった。研究室の勉強では私が彼に教えてあげ、企業の研究室の中での先輩諸氏との人間的な付き合いや遊び方は、彼に教えてもらいました。たいへん大人びていて、社会人の人たちとも伍してお付き合いができるし、私は彼の後ろをオドオドしながらついて歩いて、「なるほど、こういうときにはこういう挨拶をするのか」と教わったものである。〉
人づきあいの苦手な稲盛に、遊びを教えたのが、パチンコ好きの友人だったというわけである。