閉じる ×
閉じるボタン
有料会員限定機能の「クリップ」で
お気に入りの記事を保存できます。
クリップした記事は「マイページ」に
一覧で表示されます。
マネーポストWEBプレミアムに
ご登録済みの方はこちら
小学館IDをお持ちでない方はこちら
ライフ

《人はなぜパチンコに惹かれるのか?》時間と金銭を期待値マイナスの行為に投じる「不合理のカタマリ」だが…若き日の稲盛和夫氏が受けた衝撃とそこから学べる教訓

愚行権と呼ぶべき自由な領域

 筆者にも学生時代、パチンコ店に足を踏み入れた経験がある。煙草や酒と同じく、身体に益をもたらすものではない。それでも人が惹かれるのは、そこに愚行権と呼ぶべき自由な領域が広がるからだ。

 冷徹な数字は、パチンコが客にとって不利益な構造であることを示す。機械割、すなわち払出率は一般に85%から95%程度とされる。投じた金額の一部は、必ず店の収益となるよう設計されている。胴元が勝ち、客が長期的には負ける仕組み。時間と金銭を期待値マイナスの行為に投じるのは、極めて不合理な選択に他ならない。酒や煙草も同じように不合理のカタマリでしかないが、筆者は好きだ。

 ではなぜ人は、その不合理なことに惹かれるのか。金銭的な損得勘定だけでは人間の行動は測れない。そこは日常を支配する論理から解放された聖域である。規則、効率、建前、役割。全てを忘れ、目の前の銀玉の軌跡に没入する。単純な興奮が、日々の重圧を一時的に消し去る。デジタルな演出と物理的な玉の動きが、退屈な日々に埋もれた感情を揺さぶる。そこにこそ計算ずくの人生にはない、人間臭い生の感触が息づいている。人生の機微は、常に正しく合理的な行為の中にのみ存在するわけではない。

 稲盛和夫はパチンコという遊技自体を愛したのではない。不合理な遊戯の場に咲いた、人間の温かさに心を打たれたのだ。彼が見たものは、勝ち負けの勘定を超えた、一杯のうどんに込められた、人間の器であった。

 このエピソードは、娯楽そのものを断罪せず、そこに介在する人の営みを見つめる視点を示唆する。パチンコは、構造とリスクを理解した上で付き合うべき大人の遊戯である。自己責任の範囲で、人生の余白とする選択である。

 稲盛の若き日の衝撃は、どんな不合理な場所にも学びがあり、世間には軽んじられてしまうような対象にこそ師が存在し、人生における説得力を持ちうるという、不朽の教訓を我々に突きつける。

【プロフィール】
小倉健一(おぐら・けんいち)/イトモス研究所所長。1979年生まれ。京都大学経済学部卒業。国会議員秘書を経てプレジデント社へ入社、プレジデント編集部配属。経済誌としては当時最年少でプレジデント編集長就任(2020年1月)。2021年7月に独立して現職。

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。