「米国の転換は変わらない」
九州山地の新緑を背にした熊本県立人吉高校の校門に黒塗りのクラウンが滑り込んだのは、この会見の6日前、買収成立が報じられる丸一日前の6月13日の朝だった。橋本は交渉最終盤の局面で、約700人の後輩を前に講演をするため母校に赴いた。この時点で、米国政府との安全保障協定は締結されていない。ただ、成功を確信していたのか、時折笑みも浮かべながら惜しげもなく持論を語った。
橋本は「数字と論理」に徹した戦略で組織を強力に牽引する経営者で、調和型が続いた日鉄トップとしては異色とされる。昨年12月に筆者が行なった独占インタビューの際、あたかも独自の史観を確立した経済史家のような語り口が印象深かったが、高校生が相手のこの日も、やはりそのスタイルだ。
面白いのは、ウクライナへの支援縮小から異例の追加関税まで、トランプが矢継ぎ早に繰り出すさまざまな政策を、「アメリカ政府の財政赤字」から語り起こしたことだ。
「米国政府は、大きな財政赤字を55年にわたって続けている。物を100しか作っていないのに、105ぐらい消費している。政府が個人の面倒を見る構造で、赤字が累積してきたのです」
2024年度の財政赤字はコロナ禍期を除けば最大の1.8兆ドル(約270兆円)。10兆円台の日本の赤字と比べるととてつもない規模だ。橋本は、この財政赤字への対応、つまり金の出と入りに整理して読み解くのだ。
「輸入税(関税)の本質は米国政府が全世界に対して増税しているということなんです」
関税が歳入アップの策であり、人道支援や同盟国への軍事支援の縮小は歳出カットの策になる。橋本は講演でこう続けた。
「トランプ大統領がやっていることは極めて乱暴です。けれど、アメリカの中で意外と非難する人は少ない。なぜかといえば、長い間、アメリカ政府は野放図にお金を出し、いわば損をしてきたと思っている人が多いから」
「ロシアや北朝鮮には優しく、EUや日本といった同盟国に非常に厳しいですよね。(略)米国政府が貧乏になったのは、同盟国に騙されたせいだということです」
この構図は「今後も変わらない」とも言った。
「アメリカが全世界のリーダーであることができなくなっているのに、歴代大統領は放置してきた。これをトランプが一気に変えようとしている。違う大統領になっても、“世界の面倒はもう見ない”という米国の大きな転換は変わりません」
そして橋本は、〈愚者は成事に闇く、智者は 未萌に見る〉という「戦国策」の言葉を引いた。愚者は形が現われても変化を見逃すが、智者は形が見える前にその兆しを掴む。歴史を学び先を読む癖をつけよ、という助言だ。橋本自身がそんな兆しに飢えた少年だった。
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マネーポストWEBの関連記事『《独走レポート》日本製鉄・橋本英二会長、USスチール逆転買収を導いた“鉄の交渉人”の原点 トランプ大統領を翻意させるまでのディールで、なぜ彼は折れなかったのか』では、橋本会長の学生時代、「偉大なアメリカ」に夢を描いたきっかけ、USスチール買収後に見据えるその先の展開などについてもレポートしている。
【プロフィール】
広野真嗣(ひろの・しんじ)/ノンフィクション作家。神戸新聞記者、猪瀬直樹事務所スタッフを経て、フリーに。2017年、『消された信仰』(小学館文庫)で小学館ノンフィクション大賞受賞。2024年刊の『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(講談社)が科学ジャーナリスト賞2025優秀賞を受賞、大宅壮一ノンフィクション賞最終候補作に。
(第2回に続く)
※週刊ポスト2025年7月11日号