テープレコーダーが回っていないことに気付き…
うふふ。実は私、“聞き書き”に関しては、ちょっと自信があるの。人の名前や顔はちっとも覚えられないけど、どんな話をしたかはよく覚えているんだわ。
あれはまだテープレコーダーが手のひらから余るほど大きかった30年前。新宿のキャバレーでホステスから「客の転がし方」を聞く仕事があったの。取材とは伝えず、だからテープは回せない。男性編集者と2人、客のフリをして飲んで騒いでギャハハのハ。「お客さん、面白ーい。また来てねー」と手をピラピラ振って見送られた。
その5日後。2時間に及ぶ話を書き起こして編集者に見せたら、「野原さん、あのとき、酔っ払っていたよね。なんでここまで覚えているの?」と首をかしげられたの。
と、その一方で、体中の毛穴が全開になるような思いもしている。某有名作家先生のインタビューを任されたときだ。ご指定のホテルの一室に、雑誌の編集長だけでなく社のおエラいさんまでもが続々と顔を揃え出したから、私の緊張は一気に高まった。
「ではよよろしくお願いしますます」と言いながら、先生の前にテープレコーダーを置いてスイッチオン、したはずだったのよね。 先生は目を瞑って、新刊本を書いたいきさつやらそこに込めた思いを滔々と語り出した。そして10分ほどたっただろうか。ふと気になってテープを見ると、回ってない! まさに前門の虎後門の狼だ。
手を伸ばして「失礼します」と失敗を告白すべきか? いんや、それはなりません!と私の中の野性が止める。覚悟を決めて、私は人間テープレコーダーになることにした。と、そんななか、インタビューの途中で先生の言葉にどうしても反論したくてたまらなくなったのよ。
切れ目なく言葉を紡いでいく先生の話を遮らないよう、縄跳びに入るようにタイミングをみて、「一、二の三!」。何を聞いたかはもちろん覚えているけど、いまも忘れられないのは、顔を上げて私の顔をヒタと見据えた先生がおっしゃった言葉だ。
「あはは、面白いことを言うね。ところでキミは九州の生まれかね。えっ? 茨城? いや、ぼくの生まれ故郷の女の人と同じアクセントだったからてっきり」
この瞬間、無罪放免を確信したね。「自分の故郷の女と同じ話し方」って、好感を持たない人には言わないもの。その通り、原稿に多少の直しは入ったものの、「なんだ、この原稿は!」とはならずに20年たった。人生にはいろんな門があることを先生からそのとき教わった。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2025年7月17日号