ゲーセンで初対面の相手との対戦プレイにアドレナリン出まくりだった『ストリートファイターII』(プレスリリースより)
昨今のゲームセンター(ゲーセン)は、クレーンゲームやプリクラに代表される写真シール機が大きな存在感を放っており、少年少女やカップルたちが健全に楽しめる場所になっている印象だ。しかし、かつてのゲーセンはまったく違った。とにかく不良の巣窟的で殺伐としていた時代があった──。1970年代後半から1990年代前半までゲーセンに通い続けたネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、時代とともに変わるゲーセンのあり方に思いを馳せる。
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1982年、小学2年生の時に初めて川崎市宮前区の鷺沼という駅の近くのゲーセンに行きましたが、それはそれは恐ろしかった。薄暗い中、電子音が店内で炸裂し、不良中高校生が「ここはガキが来る場所じゃねーんだよ」的オラオラ光線を出しながらこちらを睨んでくる。
幸運にもカツアゲをされることはなかったものの、いつこちらにやってきて「お前の持ち金全部よこせ」などと言われるか、恐ろしくて仕方がなかった。しかし、1983年に任天堂からファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されるまで、ゲームをする場所といえばゲーセンだけ(ゲーム&ウオッチはありましたが)。『サスケvsコマンダ』や『ラリーX』『ルパン三世』『平安京エイリアン』などを必死にプレイしたものです。
当時、ゲーセンに集うことを不良中高校生はステイタスだと感じていた節があります。タバコを吸っていましたし、そこらへんにツバを吐いたりもしている。我々小学2年生軍団はビビりながら入店したものです。
しかも、ゲームセンターに入ったところを目撃され、学校に通報が行き、担任教師が自宅に電話して母親にそのことを伝える。翌日のホームルームの時間は前に立たされ「この3人は昨日ゲームセンターに行っていた。あそこは不良のたまり場だ。もう行かないと宣言しなさい」なんてことを言われたりもする。