学校の先生に求められることも変化している(イメージ)
情報通信技術が発達し、誰でも簡単に情報にアクセスできる時代が到来した。大人はさることながら、子供も最先端の情報に触れられ、場合によっては先生より生徒の方が詳しい、といった現象さえ起きている。
そんな変化のなか、教員に求められる役割も変わってきていると指摘するのは、日本最大級の教育イベントの創設者で、大学特任教授などさまざまな立場で教育改革を推進する教育プロデューサー・宮田純也氏。教員と生徒の関係が変化し、以前にも増して予測困難な時代において、教員の役割とは何なのか。宮田氏の著書『教育ビジネス 子育て世代から専門家まで楽しめる教育の教養』から一部抜粋・再構成して紹介する。
創造の場をプロデュースするという新しい役割
学校教育のあり方が変われば、教員に求められる役割も変わっていきます。
明治時代の学校は先端知が集まる場所でした。教科書などの教材を通じて、教員は一斉に子どもたちへ先端知を授け、読み書き算盤などの基礎学力を養いました。学校や教員が圧倒的に多くの情報量を持っていて、子どもたちに向けてそれを一方的に教えるのは非対称的な構造だと言えます。授業では「教える/教えられる」という権力的とも言える関係が確固として存在していたわけです。
しかし、情報革命により知識が標準化され、さらに情報や知識のインプットとアウトプットの価値とコストが下がった現代では、もはや学校に先端知が集まっていると言えなくなりつつあります。誰しもが情報通信技術を活用してYouTubeや世界中のメディアなどを通じて先端知を効率的かつ容易に得ることができる状況だからです。学校では情報の非対称性が薄れ、教員と子どもの関係性も変化を免れません。授業のあり方も一斉指導一辺倒でよいのかが問われるようになっています。
そんな状況のなかで生まれつつある、新しい時代の授業観は、協働的な学びを通して、みんなが持っている知識などを組み合わせて何かをつくっていくというものです。つまり、知恵の創造だと言えます。
そこで教員に求められる役割は、新しいものを生み出す場としての学校、知識伝達にとどまらない創造の場をプロデュースすることではないでしょうか。
もちろん、「知識基盤社会(knowledge-based society)」に生きる私たちは知識をないがしろにしてはいけません。知恵を創造するための土台には知識が不可欠だからです。私は知恵というのは、これまでの人生経験を踏まえて、知識に価値観・思考・行動・省察を掛け合わせることで生まれるものだと考えています。だとすれば、いま必要な学びは高度化しており、学びを支援する教員の役割もそれに伴って高度化していくことになります。