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島崎晋「投資の日本史」

【『べらぼう』蔦屋重三郎とその時代】幕府の出版統制を“甘く見ていた”蔦重が検閲をくぐり抜けるために講じた「2つの対策」【危機管理の日本史】

蔦重が講じた「検閲をくぐり抜ける2つの対策」

 出版統制に追加がなされたのは山東京伝が執筆中の同年10月末のこと。そこでは地本問屋同士による草稿段階での行事改(事前検閲)の義務化と行事改に当たる地本問屋20軒の名が明記されてり、その中には蔦重の耕書堂も含まれていた。

 山東京伝はさすがに用心して、若干の書き直しを行なうが、蔦重はほとんど意に解さなかった。というより、自分の講じた対策で十分と考えていた節がある。

 対策その1は検閲をどう切り抜けるかで、これは自分の息のかかったもの、蔦重の耕書堂にとって下請け業者のような存在の五郎兵衛店の吉兵衛と三郎兵衛店の新右衛門を行事改に指名したのである。下請けという立場上、仕事をくれる相手の意向に沿わないわけにはいかない。両者とも問題なしとして検閲済みの印を捺した。

 本来、町奉行が直々に最終チェックをなすべきだが、相互監視システムを設けたのは個人ではおよそ処理しきれないからだ。行事改が確認済みなら、右から左へ流すのが普通になっており、ここも難なく切り抜けることができた。

 対策その2は目眩ましである。蔦重は山東京伝作の先の3冊の本を合巻(1巻にまとめて製本・販売)としたうえ、表紙およびタイトルを中身とまったく別物にしたのである。よりにもよってタイトルは『教訓読本』。これでは役人だけでなく、耕書堂を訪れる客にも勘違いされそうだが、当時の書店は現在とは異なり、店員が顧客ひとりひとりに丁寧な説明と売り込みを行なうスタイル。

 幕府の取り締まりを窮屈に感じていた彼らが、洒落本と聞いて目の色を変えないはずはなく、『教訓読本』は爆発的な大ヒット商品となった。蔦重の狙い通りになったのである。

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