なぜ角打ちに憧れるのか
カウンターと後ろに酒が入った冷蔵庫が配置された魚住酒店の店内
旅の雑誌の取材なので、自由に街を歩くことからすべてが始まる。道を歩いていくと、豪壮な料亭風の日本建築が現れたり、小さな食堂に巡り合ったりした。今回訪ねたときにぶらついてみると、その店はもうなくなっていたけれど、25年前にふらりと入った、ある中華屋さんが忘れられない。
豚耳を齧りながら飲んだ白乾(パイカル)は、ドスンとくる強さだった。80ccくらい入りそうな無骨な硝子のぐい吞みで2杯もやると頭がクラクラし、旅の疲れがふっとんだことをよく覚えている。
ついでに言うと、その中華屋を出た後にふらりと入った古い銭湯の湯加減がなかなかに熱く、とても冷える門司港界隈の夜を歩く私の身体を、内側からいつまでもホカホカと温めてくれたのも懐かしい。若いというのはありがたい。今、アルコール度数58度の白乾で酔っ払った後で熱い銭湯に浸かるのは、かなり危ないと思う。
今回訪ねた「魚住酒店」は先に述べた料亭風の日本建築からも遠くない。細い路地を入り、少し酒を上がった左手に、「魚住」と看板をかけた、木枠の引き戸の渋い店が現れる。
ここは、酒屋さんである。私が初めて訪ねたのは2006年のことだから、あれからもう20年になるか。月日の経つのはなんとも早いものだが、店内は、その頃のままだ。カウンターがあり、奥は店の方の居間である。
先客がひとりいたので、軽く会釈をして中へ入った。北九州の角打ちはとても有名だから、今も週末などには各地から人が訪れるのではないか。なぜ、酒屋さんの店先で飲むのが憧れの対象となるのか。大いに謎であるが、これまで何度となく北九州で角打ちを楽しんできた私としては、はっきり言えることがひとつだけある。
昔、ここで、朝から酒を飲んだであろう人たちの、一員になりたいがためだ。石炭と製鉄という巨大産業で近代日本の発展を支えた北九州には大勢の労働者が、九州や中国地方から集まったという。明治期の小倉は軍都でもあった。集まった人々が交代勤務で朝まで働き、疲れた身体ひとつで帰路につくとき、酒屋さんは早くから店を開けて、簡単なつまみを添えて酒を出した。それが角打ち。後にも先にも、この形しかない。私は、それに憧れる。コップ1杯の酒か焼酎で胃袋をじりじりと温めてから寝床へ入る。その仲間に入りたい。いや、角打ちで飲めば、入れるのかもしれない。
店内に貼られているビール会社のポスターには、俳優の山崎努さん、野球のイチローさん、所ジョージさん、国会議員の蓮舫さんなど、いろんな人の、とても若い笑顔が並んでいる。メーカーで言うとサッポロビールが多い。
壁に貼られたポスターにも時代を感じる

