大ぶりで食べごたえがすばらしい
やきとりはわさびと食べてもうまい
なにしろこの店の創業は昭和38年だ。不肖オータケが東京三鷹に爆誕したのと同じ年である。ずいぶん昔の話だ。私はその後、昭和50年代の半ば過ぎから平成を超えて令和の現在まで酒を飲み続けるだけだったが、この店は、そんな私も含めて、実に多くの人々を慰め、励まし、癒してきたのではないか。
昭和30年代から40年代にかけては、日本経済が急激に伸びた時期だという。高度成長期と教わった。日本の国民総生産がアメリカに次いで世界2位になったのが昭和43年で、そのとき私は5歳だったのだが、当時を振り返ると、まあ質素なもんでしたよ、あのころの暮らしぶりは……。
世界2位の意味がわからない。逆に今、国内総生産が中国に次いでドイツにも抜かれて4位転落、日本のひとり負けみたいに言われているが、スーパーへ行けば、棚にはうまいものが山と積まれている。ひとり負けの意味がわからない。
一方で、「鳥竹」のように、半世紀以上もの長い年月、味を守り通すことで客に愛されてきた店がある。高度成長期にこの店に憩いを求めたのは、私の父の世代である。昭和ひとケタ。戦争の時代に子供だった人々が高度成長ニッポンの車輪となって、渋谷のうまいやきとり屋に、しばしの慰めを求めた。
その店が今もあり、高度成長期に育ったガキである私が還暦を過ぎて、昼から飲んでいる。豊かさは、経済で言うところの生産高では測れない。というより庶民が計測したって始まらない。豊かさは実感してナンボ。かつてオヤジが飲んだ「鳥竹」で今も飲んでいる私は、貧乏だが、豊かな時代のジジイである。
ケンちゃんはチューハイを、私は沖縄シークワーサーサワーを頼み、串ものは、とり肝とやきとりをタレで追加する。
ギンナンを串から直に食べる。シークワーサーサワーは季節外れの感があったが、合わせてみると、ギンナンの苦みがよく合う。レバーもやきとりも、大ぶりで食べごたえはすばらしい。軽めの昼飲みには贅沢すぎるような気がするほどだ。
やきとり屋においてギンナンは脇役の鏡である

