中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

「もしあの時、会社を辞めてなかったら…」40代フリー編集者が考える人生の分岐点

「もうひとつのIF」もしも雑誌編集者のままでいたら…?

約20年前、博報堂を辞める前の中川淳一郎氏

約20年前、博報堂を辞める前の中川淳一郎氏

 さらに言うと、今でこそネットは広告会社でも重要部門になっていますが、あのまま自分がPRの部署にいたり、営業に異動したりしていた場合、はたして社内の優秀な人々としのぎを削って活躍できていたかはまったく未知数です。

 一方で現実の私は、梁山泊のごときフリーのライター・編集者軍団の中で、サラリーマン経験があったためそれが優位性になり、多少は目立った仕事をできたのかもしれない。「挨拶ができる」「締め切りを守る」「見積もりやパワーポイント等の資料・企画書は作れる」といった、博報堂社員であれば誰でもできるようなレベルのスキルを培ってきたことが、結果的に今に繋がっている面もあると思います。

 もしも博報堂に残っていた場合に想定される自分のポジションは、部長(普通の企業における課長)にすらなれず、若者から煙たがられるプランナーでいたという感じでしょうか。「なんとかオレがいる間はキチンと退職金を出してくれ。そして、定年までなんとか雇ってくれ!」と日々願いながら生きる人生を送っていたんじゃないかと思います。

 こうして博報堂を辞めたことが私の人生の大きな分岐点になっているわけですが、同様の分岐点は他にもありました。博報堂退社後、フリーの編集者として雑誌『テレビブロス』に携わっていたのですが、もしも2006年の段階でネットニュースの編集に足を踏み入れず、ずっと雑誌の編集を続けていたらどうなっていたか――。

『テレビブロス』は2020年春に休刊になりました。もしかしたら、その時点までは編集に携われていたかもしれませんが、そうはいっても社員ではなくフリーの立場。休刊と同時にまったく仕事がない状態に陥っていたかもしれません。

 そうやってあれこれと考えていくと、現在の「反隠居」状態でライターをしている自分の人生は案外悪くないんじゃないかな、と思います。

「人生のIF」についていろいろと思いを巡らした結果、「今の人生こそが至宝」と考えた方がいいとこの原稿を書きながら悟りました。

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