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【日本のポテトチップス売上の約半分がBIG3フレーバー】国産で初めて量産化した湖池屋、創業フレーバー「のり塩」への特別な思い 3強に続く「サワークリームオニオン」にも手応え

湖池屋ポテトチップスのり塩(湖池屋提供)

湖池屋ポテトチップスのり塩(湖池屋提供)

 今年は日本における初の量産ポテトチップス発売から64年目にあたる。元祖は湖池屋だ。「湖池屋ポテトチップス」はアメリカ西部の幌馬車ロゴが名高く、現在でも日本有数のポテトチップスブランドである。アメリカでは昔からあったポテトチップスだが、いかにして日本でも発売されるに至ったのか。また初期の頃に確立された「うすしお」「のり塩」「コンソメ」という3種類の味がなぜいまだに強いのかについて、湖池屋広報部の小幡和哉さんと伊藤恭佑さんに話を聞いた。【湖池屋ポテトチップスヒストリー:前後編の後編。前編から読む

量産化が始まった時の工場風景(湖池屋提供)

量産化が始まった時の工場風景(湖池屋提供)

ポテトチップス普及を後押ししたオートフライヤーの導入

 湖池屋は1953年創業。初期は「おつまみ菓子」と呼ばれる豆やさくらえび等を油で揚げた小麦菓子をミックスした袋菓子「お好み揚げ」などを作っていたが、ポテトチップスの開発に乗り出したのは、ある時、創業者の小池和夫氏が仲間と行った飲食店でたまたま口にしたことがきっかけだった。この頃はお菓子というよりは、「高級珍味」的な形で、一部飲食店で取り扱われていたのだという。広報・伊藤さんはこう語る。

「『こんな美味しいものが、あのじゃがいもから作れるのか!』『そんな美味しいものがあったのか!』と小池は深く感動して、ポテトチップスを作っていくことを決意します。当時もポテトチップスを小規模で作る会社は、ちらほらあったようです」

小池和夫氏(湖池屋提供)

小池和夫氏(湖池屋提供)

 以来湖池屋は試行錯誤しながら、当時の日本では珍しい食べ物で、かつフレーバーは「塩」一択といった状況の中、日本の地でポテトチップスを広げるには「海苔」を使うという判断をし、1962年、ついに「のり塩」を世に送り出す。しかし、まだ大量生産に至る道のりは長く、1967年に湖池屋は国産のオートフライヤーを導入し、量産化が可能になった。それまで各メーカーは手作業でポテトチップスを揚げていたのである。

手揚げの釜揚げの様子(湖池屋提供)

手揚げの釜揚げの様子(湖池屋提供)

 伊藤さんは「このオートフライヤーの導入が、ポテトチップスというものが、お菓子として強く広まっていくのに貢献したという部分が大きかったのかなと考えています」と語る。

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