フューチャー・デザイン・ラボ会長・竹原啓二氏は、「元リク」の兄貴分的な存在だ
IT、映像配信業界、プロ・スポーツ界、さらには政界まで――。なぜリクルート出身者“元リク”は、異なる業界へ飛び込んでも圧倒的な成果を出し、マネジメントの中枢を担うことができるのか。
今回は、1989年のリクルート事件当時に総務部長として事態の収拾にあたり、のちに東京大学副理事などを歴任した竹原啓二氏(72)に、『起業の天才!――江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(新潮文庫)の著者でジャーナリストの大西康之氏がインタビュー。竹原氏はリクルートの取締役、常務執行役員を経て2004年に東京大学副理事に転じ、大学改革に携わった。現在は、企業の福利厚生制度401Kの導入や外国人採用を支援するフューチャー・デザイン・ラボ会長、「首長100人」の輩出を目指す「かもめ地域創生研究所」の代表理事として活躍する「元リクの兄貴分」的な存在だ。
一般的な企業が年に1~2回しか回さないとされるPDCA(計画・実行・評価・改善)を「年に12回」回すスピード感の正体や、リクルート創業者・江副浩正氏が執念を燃やした採用の裏側、そして激しいバッシングを乗り越え現在の時価総額15兆円企業へと成長を続けさせた「社員皆経営者」という独自の資本主義モデルまで、最強組織を形作った「強烈な遺伝子」のすべてが明かされた。【インタビュー・前編】
尋常ならざるスピード感
――日本ではサッカーのJリーグ、バスケットボールのBリーグ、卓球のTリーグなど様々なスポーツがプロ化しましたが、竹原さんをはじめ元リクが事務方を務めるケースがとても多い。プロ・スポーツ界のマネジメントで元リクが活躍している理由は何でしょうか?
竹原:確かに、リクルートの元人事部長だった村井満さんは、Jリーグのチェアマン(現在は日本バトミントン協会会長))、日本社会人アメフト協会では、新理事長に就任した並河研さん。
――Bリーグで理事を務め、Bリーグの事業会社、B.MARKETINGの社長を務めた鶴宏明さん、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの球団社長だった島田亨さんも元リクです。
竹原:リクルート出身者に共通しているのは「結果へのこだわり」と、あれこれ考える前に「まずやってみる」という姿勢でしょう。やってみて、ダメなら別の打ち手を考える。うまくいったら、さらなる成長を求めて次の打ち手を考える。このプロセスを高速で回転させる。リクルートではこの習慣を叩き込まれます。それと、みんながやる気になる風通しの良い組織風土づくりの手法を色んな団体に展開している点も共通しているかもしれません。
例えば2007年に「ホットペッパー・ビューティー(美容サロンなどの検索・予約ができるウェブサイト)」が立ち上がった時は、KPI(重要業績評価指標)を3か月ごとに変えていました。日本の大企業ではPDCAサイクルは年に2回回すのが普通で、少ない会社だと中期計画に合わせて1年に1回だったりしますが、リクルートの事業部は年に12回回します。PDCAを回すスピードが尋常ではない。
その結果「驚くようなスピード」が生まれます。普通より1割、2割早い程度ではダメなんです。例えばお客さんが「1週間はかかるだろうな」と思う仕事を翌日までに仕上げてしまう。すると「えっ、もうできたの!?」と驚かれる。そういうスピード感です。
―― 一方で、仕事人間ばかりというわけではない。Jリーグチェアマンとして活躍した村井満さんは人事部長の時、フランスW杯を観戦するため、一番忙しい3月に突然、フランスへ行ってしまった。人事が最も忙しい時期ですよね。信じられないことですが、皆、「しゃあないなあ」で済ませて部下が頑張る。それが許容されるのがリクルートという会社ですね。
竹原:仕事のやり方にも「いろんなパターンがあっていい」という考え方です。年に何回かものすごいパフォーマンスをすれば、普段は雑でも構わない。「ビジネスマンはこうあるべき」という型にもはまらない。私が入社した1976年当時の日本企業で女子社員がよく着ていた制服はリクルートではなかったし、「社長」とか「部長」とか、上司を役職で呼ぶこともなく、みんな「さん」付けでした。
創業期は優秀な学生を採用するのは難しかったので、常識にとらわれず採用活動を展開。当時、他の会社がほぼ採用しなかった四大卒の女子も積極的に採用していましたし、社員のようなアルバイトの方も大勢いました。その中で、江副さんは「誰が言ったか」より「何を言ったか」を重視しました。役員も部長も新入社員もアルバイトも、みんな一緒。アルバイトがいいことを言えば「それはもっともだ」と意見を取り入れました。その意味では高卒も東大卒もみんな同じ仲間ということで全く区別しなかった。江副さんが、アルバイトとか、若手社員に「これ、どう思う?」と真剣に聞いているところをよく見ました。
