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大河ドラマでは描きづらい徳川家康の「経済的飛躍」3つのターニングポイント

「一向一揆鎮圧」の経済的効果

 そもそも、織田信長や豊臣秀吉に比べ、家康の発展を支えた経済力について語られることは少ない。関東移封以前は特にそうである。家康の発展は織田信長との同盟だけで説明できる問題ではなく、鉄砲と火薬の確保、遠征費の調達など、増え続ける軍費に対応可能な経済力が不可欠であったはずなのである。

 改めて家康の生涯を精査すると、関東移封以前に限って見ても、家康の発展を支えた経済力に3つのターニングポイントがあったことがうかがえる。

【その1】が先述した一向一揆の鎮圧だ。家康は西三河の平定がほぼ達成されると、一向宗寺院の現状維持と不入権の承認など、一揆側との合意を無視するかのごとき行動に出た。

 このあたりの経緯は『どうする家康』の中では細かく描かれなかったが、同ドラマの時代考証を担当する歴史学者・平山優(日本中世史)の『徳川家康と武田信玄』(角川選書)に詳しい。それによれば、家康は一揆側と交わした起請文にある「前々の如く」の誓約に関して、現状維持ではなく、「前々は野原なれば、前々の如く野原にせよ」と言い放ち、一揆に加担した一向宗の寺院と道場をすべて破却し、僧たちも国外追放とした。

 一向宗の信仰そのものは否定しなかったが、信仰の場と導き手である僧侶を限りなくゼロに近づけてしまったのだから、一向宗は禁止されたのも同然だった。

 さらに言えば、一向宗寺院の破却は不入権の剥奪を伴った。従来、三河守護による課税や徴発、動員の対象外であった寺院領の特権が消滅。西三河全土の何割かにあたる、家康の支配の及ばなかった地域を課税対象に変えることができたのだ。一向一揆の鎮圧は政治的・軍事的な効果はもとより、経済的な効果という面でも間違いなく大きなターニングポイントだった。

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