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《巨大企業で何が起きていたのか》元日産社長・西川廣人氏が語った「ゴーン体制の功罪」 改革の裏に生じた“外国人幹部と日本人社員の温度差”

西川廣人・元日産社長がゴーン体制の功罪を振り返る(撮影/野口博)

西川廣人・元日産社長がゴーン体制の功罪を振り返る(撮影/野口博)

 元日産会長のカルロス・ゴーン被告が特別背任容疑などで逮捕され、レバノンへと国外逃亡した「ゴーン事件」が起こったのは2019年末のこと。真相解明の機会は閉ざされたままになっているなか、事件当時、社長として社内外の対応にあたった西川廣人氏(70)が『わたしと日産』(講談社刊)を刊行した。当時、自らにも不正疑惑が向けられ同社を去った西川氏が、「ゴーン事件」の舞台裏とゴーンの功罪を赤裸々に明かした。【前後編の後編。前編から読む

「西川は人間嫌い」「日本人に冷たい」の陰口

 ゴーン体制下では様々な出来事がありました。V字回復はたしかに素晴らしかったが、ゴーンによる不正の数々は言語道断です。それぞれ個別の事象として捉え、語られてきた感がありますが、それらを大きな流れとして、私の経験を通してつづれば、現在と将来を生きる方々の参考になるのではないか。そう考えて初めて筆をとり、『わたしと日産』を上梓しました。

 1977年に入社した日産での40年を振り返ると、前半と後半で全く違う会社のようでした。前半の終わりに日産はほぼ破綻というところまで落ち込み、ルノーによる資金注入を仰ぎます。後半は、ゴーン体制の「リバイバルプラン」(1999年)に始まり、見事なV字回復を遂げるのです。

 改革のポイントは、「輸出による成長期」だった1980年代のモデルのまま止まっていた組織を、海外生産の時代に合わせて横断的に見直し、業務を再整理したことにあります。何事も部門別の運営が中心で、部門間の壁が厚かった組織を変えたことが、業績改善を牽引することになったと感じます。

 初めて一対一で話したのは2001年、ルノーと日産の共同会社「RNPO」の実務を任され、当時のゴーン社長に挨拶に行った時でした。すでに英雄視されていたゴーンは「持論を押してくるタイプ」かと思いきや、全く違い、こちらの話に静かに耳を傾ける聞き上手という印象を受けました。

 共同会社も、その後に担当する欧州事業も、多様な国籍のスタッフがいましたが、日本人には総じて日本人だけで群れる癖があった。例えば、英語の会議が終わると、2~3人いる日本人が「大変でしたね」などと言いながら固まる。このような癖、習慣を変えるのは簡単ではありません。私があえて日本人だけで食事をしないでいると「西川は人間嫌い」「日本人に冷たい」という陰口が聞こえてきました。

 ゴーンは外部からも人材を引っ張ってきました。欧米人だけでなく日本人も含めて、すでに他の企業、業界で実績があり、意欲的で大胆な提案をする人材です。彼らは高いポストで遇され給料も高い。異例のスピードで人材構成が変わり、内部の日本人からも国際性豊かな若手が育った。これはゴーン改革の功績です。

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