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年収150万円、名門美大修士号の夏美・27歳の嘆き

友人のFacebookを見るのが一番辛かった

 その後、修士課程を卒業したものの2年間なにも仕事がないままアルバイト生活を過ごした。中学校教諭専修免許状は取得していたが、すぐに教員として就職できたわけではない。

「26歳まで仕事がなくて、近くのチェーンのお寿司屋さんでアルバイトしていました。お寿司屋さんにした理由は、たまたま通りかかって募集していたからです。時給が1000円で、アルバイト代が月に10万~12万円くらいだったかな。

『ここまできたからには、細々と油を続けよう』と思い、年に1、2枚描いては友人の展示会に参加させてもらったりしていました。ただ、全然絵が売れないんですよね。友人の絵は1枚5万~10万円するのに次々に売れていくのを見て、自分には絵で食べていく才能がないんだと察した。

 一人暮らしも諦めて友達と4万円ずつ出し合ってシェアハウス暮らしを始めました。残りのお金で画材や絵の具を買ったり、生活費を捻出していて、辛かったですね。本当に貧乏生活でした。エリートになって一流企業でおしゃれデザイナー生活をしている友人のFacebookを見るのが一番辛かった」

 26歳になり、ようやく都内の中学で美術の非常勤講師の仕事が決まった。

「もともと学校も勉強も嫌いだったんですが、もう美術講師をして食べていくしかないんです。努力してないけど、なんとなく人よりも絵が上手かったというだけでここまで来たので、教育への興味も関心も熱意もない。でも、非常勤に採用してもらったことで、ようやく社会に出られたんだとホッとした。

 週に5コマ持っているのですが、非常勤なのでコマ単位の給料なんです。1コマ3000円ほどで、月に6万円くらいしか得られない。シェアハウスの家賃程度ですからね。もちろんこれだけでは食べていけないので、新しい就職先を探しながら、家の近くの喫茶店でアルバイトもしています。その2つを合わせて、月収は12万円くらい。一番節約しているのは服ですね。おしゃれは完全に諦めているし、シェアメイトの友達の服を借りることもあります」

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