「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一は、実業家の大倉喜八郎、安田善次郎らと「日本パノラマ館」を設立した(時事通信フォト)
古来、芸術にはパトロン(経済的支援者)が必要とされてきた。歴史作家の島崎晋氏が「投資」と「リスクマネジメント」という観点から日本史を読み解くプレミアム連載「投資の日本史」第18回(前編)は、明治以降に出現した日本の名だたる実業家による「芸術・文化」への投資とその目的について取り上げる。【第18回・前後編の前編】
明治の実業家による「桁外れの推し活」が伝統芸能を守った
芸術家の支援や伝統芸能の保護や継承など、文化への投資は国家や為政者にしかできないわけではない。そうかと言って、金銭的余裕のある者なら誰でも上手くできるわけでもなく、物事の価値や個人の才能を見抜く力(審美眼)に加え、相応な使命感がないことには、有閑者の見栄や自己満足で終わってしまうだろう。
公職にあらずして、芸術や芸能を力強く後援、もしくは新たな娯楽を生み出した人物。明治以降の日本では、主に実業界に、その類の人物が散見される。
江戸時代以前の日本にも独自のパトロン文化がなかったわけではない。例えば『おくの細道』で知られる俳人の松尾芭蕉には、日本橋で幕府御用達の魚問屋を営む商家に生まれた杉山杉風(すぎやまさんぷう)のような太いパトロンがいた。芭蕉の弟子で、「蕉門十哲」の1人にも数えられる人物である。
江戸時代の豪商は花街での遊びをステイタス・シンボルとしたが、これもパトロン文化の一種に数えられる。彼らの目的は花魁との情交より、むしろ芸妓相手にお座敷遊びを楽しむこと。舞妓(芸妓見習い)の育成を助け、お座敷遊びの伝統を絶やすまいとする心が働いていたようだ。
明治時代になって文明開化が高らかに謳われるようになると、伝統芸能はのきなみ存続の危機に見舞われ、生き残るためには公的機関による支援を求めるなり、パトロンの獲得に努めるなり、何らかの策を講じる必要に迫られた。相撲界にタニマチという、特定の力士や部屋をひいきし、金銭的援助に加え、チケットの販売促進や集客、トラブル発生時の処理などに力を貸してくれる後援者がつくようになったのもこの時期からで、一説によれば、タニマチという名称は、大阪の谷町筋に住む相撲好きな医者が、力士から一切治療代を取らなかったことに由来するという。
名のある実業家にも特定の芸人や業界の後援者となる者が少なくなく、安田財閥の祖にあたる安田善次郎(1838〜1921年)は、宝生九郎知栄(ほうしょうくろうともはる)という能役者のパトロンを務めたことで知られている。善次郎は芝居や相撲を見るのも好きなら、囲碁や馬術、菊作り、茶道を嗜み、書画骨董集めも楽しむなど多趣味な人で、仕事の上では守銭奴と評されることもありながら、見込みのある事業や自分の人生哲学に適う社会事業、および好きなことには投資や寄付、出費を惜しまない人物だった。現代の言葉を借りるならば、“桁外れの推し活”と言うこともできよう。