高級時計は当たり前、クルーザーまで所有する強者も
ところで、貨幣社会が成熟した現代日本においては、お布施と言えば、托鉢で「食事」を与えることではなく、葬式において「現金」を贈与することが一般的である。
「お葬式に関する全国調査」(第5回2022年)によれば、葬儀でのお布施の平均額は22.4万円である。葬儀の拘束時間を2時間ほどと考えれば時給11.2万円の異例の高額であり、その用途について、檀家が関心を持つのは自然なことである。
特に、生産活動から離れた生活を送り、托鉢によって生命を維持し、常に清貧であることを理想とする僧侶が、お布施をもとに贅沢な暮らしを送っているとすれば、それが批判の対象となるのは当然であろう。「坊主丸儲け」という言葉が存在すること自体、こうした疑念が社会に根強く存在していることを物語っている。
実際問題、丸儲けしている坊主はどれほどいるのだろうか。日本宗教連盟の理事長などの要職を務めている戸松義晴(浄土宗)は、朝日新聞の記者から「坊主丸もうけって本当ですか?」と問われ、「宗教法人の多くは家族経営で規模が小さく、決して裕福ではありません」と前置きしつつも、「ぜいたくな暮らしをしている宗教者は、ごく一部ですが存在します」と答えている(朝日新聞デジタル「宗教は救いになる? それとも坊主丸もうけ? 僧侶が語るその必要性」2024年5月15日)。
このような「贅沢坊主」や「強欲坊主」は、しばしば週刊誌を主戦場としてセンセーショナルに取り上げられる。曹洞宗に属する僧侶の橋本英樹は、次のようにその実態を告発する。
「経営が厳しくなったとはいえ、いまだに儲け重視の僧侶がいることは確か。そういった僧侶が集まれば駐車場はモーターショーのようになり、話題といったらゴルフのことばかり」
高級時計は当たり前。釣り好きが高じて、クルーザーまで所有する強者もいるという。
「寺格(寺の格)が高いと、戒名一つで200万円、葬儀で1000万円くらいはザラ。本来“浄財”というきれいなお金であることを忘れ、高級外車を経費計上する僧侶もいます。先日もウチに相談に来た方に聞いたのですが、ある寺で『お金がないので葬式はやれません。納骨のときのお経だけお願いしたい』と言ったら、僧侶が『ふざけんな、お前!』と品位に欠ける言葉で責め始めたと聞きました」(橋本英樹「葬儀とお墓」『女性自身』2016年10月4日号)
ここまで極端な例はさすがに稀であろうが、檀家のお布施が僧侶個人の物欲に消費されている例が、残念ながら現実に存在する。実際、丸儲けしている僧侶も確かにいるのである。