本来はアイドルよりも尊い存在であるべき僧侶
ここで、「アイドルだって、表に出さないだけで裏では恋愛しているに決まっている」と主張する人も現れるだろう。確かに、そうかもしれない。たびたび騒がれる熱愛報道は、その可能性を強く示唆している。
しかし、少なくとも公に「私には恋人がいます」と宣言しているアイドルはいなく、ファンは「恋人などいない」と信じて“推し活”に励んでいる。せめて裏で破戒している僧侶もまたこれにならい、世間に対しては常に清貧であることをアピールして、お布施にふさわしいと思われる努力をするべきであろう。そのような努力は檀家の気持ちを高め、結果としてお布施の果報をより実り多いものにする。
以上より、日本仏教の僧侶はアイドルよりも尊い存在であるべきであり、そうでなければ施主から「お布施するにふさわしい」と認められることは困難である。苦しみを終極させることが仏教の目標であるのに、お布施が仏教徒を悩ませ苦しめているようでは本末転倒である。逆に言えば、お布施は施主の気持ちを表すものである以上、僧侶がアイドルよりも尊いと評価されていれば、多くの人々が「お布施してよかった」「立派な本堂が建てられてよかった」と喜んでお布施を行うことになる。
結果として、仏教は興隆し、施主は大きな果報を享受するであろう。また施主となる在家者も、先祖のためにも、自分自身のためにも、そして仏教界のためにも、「お布施してよかった」と思える相手を探すことがなにより求められる。
そのようなお布施こそ、在家者と出家者のあいだに相互利益的な関係を形成し、健全な社会の基盤を支えるものとなると結論づけられる。
※清水俊史:著『お布施のからくり「お気持ち」とはいくらなのか』(幻冬舎)より一部抜粋して再構成
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【プロフィール】
清水俊史(しみず・としふみ)/仏教学者。2013年、佛教大学大学院博士課程修了、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD、佛教大学総合研究所特別研究員などを務める。著書に『阿毘達磨仏教における業論の研究──説一切有部と上座部を中心に』『上座部仏教における聖典論の研究』『初期仏典の解釈学──パーリ三蔵と上座部註釈家たち』(いずれも大蔵出版)、『ブッダという男──初期仏典を読みとく』(ちくま新書)がある。