創業者は江戸っ子で名門蕎麦屋の末裔
品位あるカウンターに迎えられ、いざ入店
翌日は、夕刻より、先に書いた「雲のうえ」の関係者たちの集まりが予定されていたが、その時刻までは自由だ。まずは旦過市場の酒屋さんで角打ちをする。これが遅い朝酒。その後は小倉市内をぶらぶら歩き、昼頃になって中華料理の「耕治」へ向かった。ここで昼酒をするのだ。
1955(昭和30)年に開店した中華の老舗で、創業者平野耕治氏の名を店名とした。
こう書くと小倉っ子が出した店なのかと思いがちだが、創業者は江戸っ子も江戸っ子。浅草は観音様の裏で江戸中期に創業した「おく山萬盛庵」という名門蕎麦屋の末裔なのだ。
関東大震災に遭い、その後の東京大空襲で店は焼けた。末っ子だった耕治氏は兄嫁の出身地である小倉に新天地を求めた。
そこで開業したのは蕎麦屋ではなく中華料理店。しかも、東京風のしょうゆ味のラーメンを出した。地元の人は豚骨スープを好む。しょうゆラーメンは苦戦を強いられたが、東京からの転勤者には人気の的となった。
それ以来、中華料理店としてのメニューを次々に拡充し、小倉の中華の代表格としての地位を確立していった。
私が訪れたこの日は、創業70周年を記念して、特製鶏そばに小椀のやきめしをつけて、通常なら2400円相当のところ、お祝い価格1000円で提供しているのだった。
店前に掲げられた70周年記念のポスター
店に入ると、右手には土産物を売るカウンターがある。いかにも高級店のレセプションという感じで、店の歴史を詳しく紹介する36ページの小冊子も、自由に手にとることができた。
6名、10名の個室もあれば、40名収容の座敷も備える店だが、私のようにぶらりと訪ねる客も快く迎え入れてくれる。
さて、まずは生ビールを頼み、メニューを眺める。以前、松本清張と森鴎外のふたりの作家と小倉とのつながりを取材したことがあった。そのとき、清張が好きだったという「耕治」のふかひれ姿煮入りラーメンを撮影し、試食させていただいた。これがすこぶる美味な一杯で、さすが清張と、妙な具合に納得したものだった。
今回、昼酒でそのような贅沢もできないから、私がまず頼んだ一品目は、ぐっと地味になるがザーサイである。
飲むは生ビール。ザーサイの歯ごたえも心地よく、ビールは実に滑らかに、喉を通っていくではないか。昼から飲むビールはいつだって、うまいのだ。

