「胃ろう」はしなかった
亡くなる数か月前には誤嚥性肺炎で高熱を発して意識が遠のいたので、すぐに入院することに。医師からは胃ろうの話も出ましたが、本人が望んでいないことを知っていたので、胃ろうの造設はしなかった。その後しばらくは点滴による栄養補給で過ごしました。肺炎はいったん落ち着いたのですが、食べ物を口にすると再び誤嚥する危険があるため、入院を続けながら様子を見ました。
その時も私が大事にしたのは対話です。母に何か口にしたいものがあるかと尋ねると、「コンソメスープが飲みたい」と。すぐに帝国ホテルのコンソメスープを買ってきて飲ませたのを覚えています。「おいしい、ありがとう」と言って微笑んでくれました。
最後に口にした固形物は、母が食べたいと言ったレーズンパン。妻の(国分)佐智子が買ってきて口に運びました。
「お母さん、おいしい?」と聞くと、母は視線をあげて、「もっとぶどうが多いところ」と呟いた。その場にいた一同は思わず大笑いです。さすが、噺家の妻ですね。
亡くなる日、私は生放送の仕事が入っていました。それでも時間の許す限り病室で母と話をしました。最近始めた畑で、次は何を植えようかとか、来年は桜を見に行こうなど、そんな話を、私が一方的にしていました。
出発の時間が近づき、私は母の手を握って「お母さん、ありがとうね」と伝えると、母は、私の手をさすってくれました。
病室を出る間際、私が「お母さん、行ってくるね」と言うと、母は少しだけ手を挙げました。そして、「行ってらっしゃい」と言いました。それが、母から聞いた最後の言葉です。
介護の日々は、母と最も深く対話をした日々でした。たくさんの言葉を交わしたことで、父に言えなかった「ありがとう」を、母だけでなく、母を通して父にも伝えることができたように今では感じています。
※週刊ポスト2026年7月24・31日号