筒井康隆氏が自らの戦争体験とSF作品に込めた思いを語った(撮影/太田真三)
戦後81年の夏を迎え、戦争の記憶の継承という難題が改めて問われている。作家・筒井康隆氏(91)は、少年時代に大阪で戦争を経験し、従来の戦争文学とは異なる手法で作品に描いた。戦争を「醜くて面白い」と語る筒井氏に、真意を尋ねた。【全文】
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自らの体験に裏打ちされた「戦争は面白い」
「梅田に阪神百貨店ってあるでしょう? あの辺が爆撃を受けて、1階のコンコースに焼け出された家族4人がいた。みんなヨレヨレでボロボロの服を着てね。子ども2人と奥さんは、お父さんの膝にもたれて寝ていたんだけれど、お父さんだけは空洞のように黒い口をポカーンと開けて、どこか虚ろな目で、目の前の宙を見つめていた。これは悲惨だなと思いましたね。そういうことが、あちこちにありました」
作家・筒井康隆氏が振り返るのは、大阪市内での敗戦直後の記憶である。
昭和9年生まれの筒井氏は当時10歳、国民学校5年生だった世代だ。幼くして目撃した戦争の悲惨さを語る半面、作家としての目線からはこんな言葉も飛び出す。
「戦争の話は、実際に戦場に行って来られた大岡昇平さんや阿川弘之さんといった方々が書いていらっしゃいました。そういう体験は僕にはない。けれども、だからこそ僕がどうしても書きたかったのは、戦争が面白いものだという印象だったんですよ」
戦争は面白い――。ともすれば誤解を招き、批判されかねない表現を、筒井氏はたびたび用いてきた。それは言わずもがな、自らの戦争体験に裏打ちされた言葉であることを付言すべきだろう。
筒井少年は戦局の悪化に伴い、大阪市内から吹田市千里山の祖父の従兄弟の家に縁故疎開した。疎開先では「田舎の農家の子にめちゃくちゃにいじめられた」。そして、山ひとつ越えた先にある伊丹飛行場(現・大阪国際空港)に向かうB29から機銃掃射を浴びせられ、命の危機を感じる経験も二度あったという。
「機銃掃射……。あの時なんかも、ケラケラ笑っちゃいましたよね。自分の足がガクガク震えて動かなくて、普段はなんてことのない石段が上れないんですよ。その状況をどこかで客観視している自分がいたんでしょうね。恐怖があるからこそ可笑しいわけで、笑っちゃったわけです」
そうした少年らしからぬ感性は、後にSFや純文学の手法で戦争を作品に昇華していく、作家の視点の萌芽を感じさせる。
筒井氏が戦争という主題を見出すのは、作家としての転機となった短篇『東海道戦争』を描いた1965年――戦後20年のことだ。
「僕の場合、ほかの作家と違うのは、小説を書く時の戦争の見方です。戦争というのは実は面白いんだと。これは今の人には言えないでしょうね。もちろん戦争では嫌なことがいっぱいありましたけれど、僕は戦争は面白いという視点で、醜いことを喜劇的に、むしろそれを強調して書いてきました」
