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専業主婦は「子育てがすべて」という考えの残酷さ

共働きになっても子育ては母親の責任

 問題は、母親がいくら頑張っても子どもは思い通りに育つわけではないことです。核家族による母子密着型の子育ては、日本では1960年代の高度成長期になって普及したきわめて特殊なものです。人類の長い進化の過程を考えれば、子どもがそんな子育てに最適化するようプログラムされているはずはない。人類がその大半を過ごした狩猟採集の時代では、母親は新しく産まれた赤ちゃんの世話をしなければならないのですから、乳離れした子どもは年上の兄姉や従妹たち、部落=共同体の友だち関係のなかで育っていったはずです。

 新興国のなかには、フィリピンのように母親(祖母)を中心とする大家族で子どもを育てる社会がたくさんあります。香港やシンガポールでは、「アマさん」と呼ばれる外国人家政婦に家事育児を任せるのが一般的です。一方、欧米は共働きが当たり前になったので、子育ても「夫婦ふたりのプロジェクト」です。ところが日本では、いまだに母親だけが子育ての責任をすべて負わされている。

子育てに参加する父親を「イクメン」などとはやしたてていますが、核家族で共働きするのであれば、育児も夫婦で分担するのが当然です。けっきょく日本では、共働きになっても子育ては母親の責任なんです。

 専業主婦モデルを正当化しようとすると、「共働きの子育てには問題がある」といわざるを得なくなります。共働きでもちゃんと子供が育つなら、「なぜ妻も働ないのか?」ということになってしまいますから、「共働きの家庭の子供はかわいそう」でなければならないのです。

 しかし、「専業主婦でなければ正しい子育てはできない」というイデオロギーは、逆にいえば「子育てに失敗した専業主婦には存在意義がない」ということですから、子どもの発達障がいなどで苦労している母親にとってものすごく残酷だと思います。子育てがかけがえのない体験だというのは私自身の体験からも同意しますが、だとしたら父親もいっしょにその「かけがえのない」体験をすればいいのではないでしょうか。

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