キャリア

就活ルールの歴史 「策定→協定破り」を繰り返すメカニズム

就活ルール、廃止してもいずれ復活か(経団連の中西会長/時事通信フォト)

 経団連が“就活ルール”の廃止を表明した。だが、ルールは早晩復活すると専門家は指摘する。ルールの設定・廃止は過去に何度も繰り返されてきたからだ。『学歴フィルター』(小学館新書)の著書がある、就職コンサルタントの福島直樹氏が解説する。

 * * *
 10月9日の経団連の会長・副会長会議で、2021年卒の就活生(現大学2年生)から、「採用選考に関する指針」が廃止されることが決定した。現在は経団連が就活開始時期のスケジュールを定め、会員企業にその遵守を求めているが、その“就活ルール”がなくなるのだ。

 ではルール廃止後はどうなるのだろうか? 近い将来、名称を変えた新・就活ルールが策定されると筆者は予測する。なぜなら、新卒一括採用については、過去に何度もそのルールが定められ、そして廃止されるという歴史を繰り返してきたからだ。

 野村正實著『日本的雇用慣行』によれば、1929年に就職協定の原型というべき「6社協定」が企業、大学、政府の協議の末、成立した。日銀、三井物産などが参加し、卒業後に選考することが定められ、かけもち応募も禁止されていた。しかし翌年から協定破りが出た。

 1952年には新たに就職協定が結ばれた。文部省、労働省が「大学4年の1月以降に選考せよ」という通達を都道府県知事、大学学長、企業へ出したことがきっかけだ。しかし企業の選考は10月におこなわれ、初年度から無視された。

 1962年には日経連(日本経営者団体連盟、後に経団連と統合)の「野放し宣言」が話題になった。1964年の東京オリンピック景気で採用の早期化が進みルールが形骸化したことから、就職協定から日経連が離脱したのだ。大学側だけのルールになり著しく採用が早期化し、青田買いならぬ「種もみ買い」と批判された。1971年には、早期化があまりにひどいことから、日経連は就職協定に復帰した。

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。