中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

たった一度の「母の日」のプレゼント 35年前に贈ったレンギョウの今

 だから、母子3人、クリスマスや正月を祝うこともなければ母の日を祝うこともなく日々暮らしていたのですが、1984年3月、神奈川県川崎市から東京都立川市に引っ越した時にライフスタイルが少し変わりました。

 父親の単身赴任が終わって、ついに4人での生活が再開。さらに、新しい学校では「母の日」がいかに大切かを説くような授業があったのです。でも、我が家はお小遣いがない家だったので、何かを買うことなどできない。

 小学校5年生になった母の日に何かプレゼントを渡そうと思ったものの、お金がないため、自生しているビワやら桑の実を取って母にあげようかとも考えましたが、どうやら世間では母の日には花をあげるらしいことが分かりました。

 そして、自転車に乗り、立川市内のあまり人がいない空き地まで行って、そこに自生していたレンギョウの枝を、手折りました。そこにはきれいな黄色い花が咲いていました。もし、所有者がいたのであれば、申し訳ない、という思いですが、私は黄色い花がついたレンギョウの枝を「はい、母の日のプレゼント」と母に渡しました。

 母は「ありがとうね」と言い、花瓶に水を入れ、そこに挿しましたが、案外元気に咲き続けていました。そこで今度は、自宅敷地内の土がある場所に植え替え、毎日、水をあげていたら、いつしかこのレンギョウはどんどん大きくなるではありませんか!

 以後、そのレンギョウは数年間にわたって花を咲かせるようになりました。その後、レンギョウは種を落とし、また新しいレンギョウとして生え変わります。1984年5月に我が家にやってきたレンギョウの子孫は2019年5月の今も、立派に花を咲かせています。

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