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63歳女性が振り返る「昭和50年の就職体験」 住み込みの靴屋での甘くない現実

“オバ記者”が50年前の就職事情を語る(イメージ)

“オバ記者”が50年前の就職事情を語る(イメージ)

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2021年3月の新卒の内定取り消しは100人にのぼり、主要企業の高卒内定者数は昨年と比べて約3割も減ったという。いま就職活動に苦労している若者は多いが、昔の就職事情はどうだったのだろうか。女性セブンの名物記者“オバ記者”こと野原広子さん(63才)が、高校卒業後、初めての就職先で体験した苦労を振り返る。

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 なんとはなしに晴天の週末、足が向くところといえば、家から徒歩40分の東京・上野公園。井沢八郎の『あゝ上野駅』がつい口をついて出てきちゃう。

 茨城県出身の私にとって、「常磐線・上野・あこがれの東京」はひとつながりなのよね。思えば、高卒で上京したのは4月初め。46年前(昭和50年)のこと。上野駅の中央改札前で、就職先の靴屋の社長がビシッとスーツを着て、旗を持って出迎えてくれたんだっけ。

 農業高校では、就職担当の先生から「卒業して事務員になんかになれると思うな。きみらの就職先は工場か店員だぞ」と言われていたから、そんなもんかなと。

 東京の靴屋の店員になろうと思ったのは、私の靴のサイズが24.5だったからだ。田舎の靴屋では、「これしかないよ」と店の奥から出されたものを買うしかなかったけど、これからは靴を選べる。18才の私はそんなことがうれしかったのよね。

 それから、待遇がとてもよかったのも覚えてる。初任給7万5000円で、店の上階が寮になっていて、寮費や健康保険など2万5000円は引かれるものの、月に4日の定休日以外は3食とも奥さまが用意してくださった。

 こうして都心ののんびりとした商店街の一画で、私の東京生活が始まったのはいいけど、現実は甘くない。否応なしに月に2万8000円の天引き預金を引かれたら、手元には2万2000円しか残らない。化粧品や下着を買って、休日4日分の食費を引いたらいくらも残らない。

 その当時、創刊されて数年のファッション雑誌『non-no』とか『anan』を開くと、モデルの足元に「活動的な女の子にピッタリ! スカート9800円、ブラウス8800円」とか書いてあるんだわ。これを買うには何か月、食費を切りつめたらいいのよ!? 店には私と同世代のお嬢さんが2人いて、当時大流行していたハマトラを着てデートに出かけて行くのを、映画のワンシーンのように見送ったっけ。

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