キャリア

63歳女性が振り返る「昭和50年の就職体験」 住み込みの靴屋での甘くない現実

上野公園で途方にくれた日々

 住み込み店員の私はうわっぱりを支給されていたし、田舎から持ってきた服があるから着るには困らないけど、どう見ても東京の女っぽくない。

「ヒロコ、上野に着いてもキョロキョロすんじゃねーど。田舎者だってわかっと、生き馬の目を抜く男らが寄って来っかんな」

 初めてひとりで上京するとき、田舎の母ちゃんからくどいほどそう言われた私は、休日になると上野駅やアメ横ではなく、上野公園へ行った。そして、西郷隆盛の銅像のある高台から上野駅を見下ろしながら途方に暮れてた。

 高校時代は、バイトで貯めたお金を握りしめて上京して、国立西洋美術館で開催された『ゴヤ展』を見たり、上野動物園にやってきたばかりのパンダや『モナ・リザ展』の長~い列にも並んだのに、就職したらそのお金がない。

「天引き預金は、若い店員が簡単に逃げ出さないようにするためのもんだってよ」と、同郷から出てきたKちゃんは言う。

 もしそうなら、店側に「貯金しないでください」とお願いしたら、逃げる準備をしていると思われやしまいか……ダメだ、いまクビになったら、住まいも仕事もすべて失ってしまう。18才の私は、毎日そんなことばかり考えていた。

 昭和3年生まれで尋常小学校しか出ていない母ちゃんが、上京する娘に期待するのは、「貯金をしてマジメな男に嫁がせる」こと。「いいか。『十九厄年、孕むか死ぬか』っていうんだがらな。孕むくらいなら死んでくれ」と言って、私を送り出した。

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