中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

私が体験した「パン工場バイト」の実態 本当に「恐怖」だったのか?

パン工場のバイトの実態は?(写真はイメージ…とはかけ離れています。AFLO)

パン工場のバイトの実態は?(写真はイメージ…とはかけ離れています。AFLO)

 かつて、パン工場のアルバイトは学生にとって「恐怖のバイト」と呼ばれていた。今もネットの質問サイト等では「パン工場バイトは本当にキツいのか?」などの質問があり、実体験も多数書き込まれている。学生時代、東京・多摩地区にある山崎製パン工場でのアルバイトを経験したネットニュース編集者・中川淳一郎氏が、当時の「山パンバイト」の思い出を振り返る。1993年の話である。

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 私が山パンのアルバイトを知ったのは、大学の掲示板に貼られた求人票で、財団法人内外学生センター、通称「ガクト」と呼ばれるところから来ていました。「ガクト」からの求人は、日雇いで、しかも現金払いをしてくれるところが多いというので、当時学生の間では大人気でした。

 私は立川の実家から自転車で35分かけて山崎製パンの工場へ行きました。勤務時間は17時から翌日の6時まで。途中、食事休憩が入ります。もちろん私も、パン工場のバイトが「恐怖のバイト」と呼ばれていたことは知っていました。「ロボットのように同じ作業を延々と繰り返す」「ベルトコンベアーの前だから長時間気を抜くこともできない」などなど、不穏な噂は聞いていました。それでも、当時の時給1000円で1回1万2000円もらえることをモチベーションに参加したのでした。

 私が任された作業は「焼かれたメロンパンをベルトコンベアーに移動する」「マドレーヌの銀色の型をひとつずつ分けてベルトコンベアーに置く」「流れてくるランチパックを別のベルトコンベアーに移す」など。1時間ごとに持ち場が変わるのです。これは、1時間ごとに別の作業をやらせることにより、作業員を飽きさせないための配慮だと思われます。最初の10分ほどは作業に手間取ることも多いのですが、少しずつ慣れていき、20分も過ぎればテキパキと手を動かせるようになります。

 ようやく慣れたと思ったら、「次のラインへ行って!」と言われて別の場所へ。そこで新たな作業を指示され、再びイチから学び始め、段々と慣れていくのです。こうして様々な現場を経験すると、2回目以降のバイトではスムーズに作業ができるのでしょう。色々と労働者のことを考えている現場だと感じました。

 そして、嬉しかったのが、途中であった食事タイムです。食堂へ行き、ご飯と味噌汁と鮭の塩焼きをいただきました。正直、若干作業には飽きてきたところもあったので、この食事タイムはリフレッシュできました。

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