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1本4万円「メガネスーパー」はなぜ高くても売れるのか? 社長が語る戦略

メガネスーパーは低価格チェーンにどう対抗しているのか(写真はコロナ前のもの)

メガネスーパーは低価格チェーンにどう対抗しているのか(写真はコロナ前のもの)

 赤字続きだった「メガネスーパー」に再建役として乗り込み、社長就任わずか3年で黒字転換させたのがビジョナリーホールディングスの星崎尚彦社長(54)だ。老舗をV字回復させた手法とは。

──平成元年(1989年)当時は何をされていましたか?

星崎:平成元年は、ちょうど早稲田大学を卒業して三井物産に入社した年でした。私の祖父は戦後に三井物産名古屋支社の支社長をしていて、父親も同じく三井物産の社員(後に取締役)。母や親戚の多くも社員で、もともと縁は深かった。

 ですが、最初から三井物産に入ると決めていたわけではありません。当時はバブル期で大手企業の門戸も開かれていたし、各業種のトップ企業を受けまくりました。

 他にいくつか内定を頂きましたが、様々なことにチャレンジできる環境があり、最も魅力的に思えたのは三井物産だった。

 ただ、その程度の意識ですから、総合商社についての基礎知識も全然ありません。最初に配属された繊維部で「お前、インボイス(請求書)も知らないで商社マンになったのか」と上司から罵倒される始末で、新人時代はへこみまくっていましたね(笑い)。

──三井物産では約10年間働いた。

星崎:正確には1998年12月に休職、1999年1月から1年間海外留学し、2000年に退職しました。

 入社後、繊維やアパレルの事業で成果をあげ、営業には自信を持ち始めていました。その一方で、履歴書に胸を張って書き込めるような具体的スキルがないことも気になっていた。そこでMBA(経営学修士)の取得を目指して留学したんです。

──“物産ファミリー”の中で、よく辞める決断ができましたね。

星崎:もちろん母には泣かれ、父は会社で吊るし上げられ、周囲からもさんざん言われました。

 ですが、振り返ると大学ではスキー連盟の委員長をやったり、三井物産でもスキー部キャプテンを務めたりと、若い頃から自然とマネジメントの訓練を自分に課してきたんですよね。会社を経営する社長業とキャプテンシーは同じものであるという信念のもと、自分は経営者として独り立ちしたいと考えました。

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