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ビアガーデン、ビヤホールの歴史は古い

ビアガーデン、ビヤホールの歴史は古い

 コロナ禍での2度目の夏が終わり、今年もビアガーデンに行けずじまいだったという人も多いのではないだろうか。ビアガーデンに限らず、緊急事態宣言下では酒類の提供が制限されているため、飲食店でビールを楽しむというかつての日常を懐かしんでいる人は少なくないだろう。

 だが、コロナ禍が落ち着いてくれば、必ずまたビールを楽しめる環境は整ってくるはず。というのも、かつて戦争が終わった直後の日本でも外食産業は壊滅状態になったが、そこからいち早く営業再開したのがビヤホールだったからだ。あらためて日本の戦後外食史の中から、ビヤホール、ビアガーデンの歴史を振り返ってみよう。

 日本が敗戦した1945年は凶作で大変な食糧不足の年だった。

「そのため戦中からの配給制が続いたのですが、食料がまったく足りず、人々は闇市に買いに走りました」と話すのは、『香雪社』代表で、食の専門サイト『Food Watch Japan』編集長の齋藤訓之さんだ。

「当時、占領軍のアメリカ人は正肉しか食べませんでした。その内臓肉やタンなどがごそっと余る。日本人はそれをホルモン料理や牛タン焼きとして味わった。また、安価で引き取ることができた豚骨や“がら”を使って、ラーメンのスープを作るようになりました。このように、戦後の食文化の多くは闇市から生まれたと言っても過言ではありません」

 1947年には、厳しい食糧事情から、飲食営業を禁止する飲食営業緊急措置令が出され、外食は一時壊滅状態に。が、1949年に解除されるや、飲食店が全国で相次ぎ開店される。その中で、いち早く営業を再開したのがビヤホールだ。

「戦前のカフェーは、いまでいうガールズバーのような風俗店。それに対して、戦後いち早く復活したビヤホールは、紳士が集う健全な大人の社交場として人気でした」(齋藤さん)

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