自宅介護でストレスを抱える人は少なくない(イメージ)
93才の母の自宅介護に奮闘する女性セブンの「オバ記者」こと野原広子さん(64才)。彼女を悩ませるのは、「シモ」の世話だ。ときに精神的に追い詰められてしまうこともあるという。そんなオバ記者が、自らの介護体験をつづった。
* * *
《自分のにおいは懐かしい。でも、お次の人へのエチケット》。このフレーズを耳にしたのは、昭和後期のトイレ芳香剤のCMだったか。すでに水洗トイレが普及していたとはいえ、まだまだボッチャン(汲み取り式)も残っていて、“自分のにおい”をみんなが意識していた頃だったのね。「うまいこと言うな~」と感心したから、いまでもこうして覚えている。
それにしても、自分のにおいを「懐かしい」って、ふふふ、本当にそうよ。芳しいと思う日もあれば、ゲゲッと後ずさりしそうな日もあるけれど、そのにおいが嫌いになることはないから不思議。悪臭は悪臭で、昨日食べたものを思い出してみたりするけど、それは自分の残骸であって、別れがたいとまでは言わないけれど、やっぱり「懐かしい」のよね。
ところが、それが自分以外の人のものだったらどうか。
93才の母親のシモの世話を始めてから、このことが私の頭の一部分を占めて離れないんだわ。
というのもこの2か月、私は毎日、日に4度、5度と、母親が“大仕事”をするたび、右手に簡易シャワー器、左手に使い捨ての手袋をして、ポータブルトイレに座っている母親の事後の洗浄をしているの。
「そこまでするの! 私はとても無理」と親戚のおばさんは言うけれど、別に私が親孝行だからじゃない。訪問看護師さんがしているのを見て、これはいい方法だなと思ったからよ。
トイレットペーパーやウエットティッシュで始末をしていたら、その部分がただれて痛い。母親からしてみれば「お湯で洗ってほしい」と言うのはもっともだけど、私は私で、見たくないものを見なくて済むという利点があるの。太ももの間から腕を伸ばしたその先は、手探りでお湯をかけながら洗うだけ。排泄物を目にする時間が減るのは、心理的にかなり楽になる。
問題は、バケツの中のものをトイレに運んでそれを流す作業と、バケツを洗う作業。時間にすれば1分足らずのことだけど、時々介護を代わってくれる弟(52才)は「息を止めている」と言う。私はマスクを二重にして対処している。それでも、日常のどんなタイミングでトイレに捨てにいくかは、私の心の健康を考えると、大問題よ。