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93才母を自宅介護、64才女性を追い詰める「シモの世話」のストレス

私を追い詰めたものは何だったのか

 思えば、私もうかつだったのよね。

 3か月前に退院したときには誰の目にも「余命わずか」で、母親はオムツの中に排泄していたの。それもこれも、この世に在る証と思えば、強烈なにおいだって思い出になるかも、なんて思っていたの。

 母はその後も自分の力では立てず、「ヒロコぉ~」の一言で私を深夜に起こす。私は母を抱き起こして、ポータブルトイレに座らせ、用を足したら抱きかかえてベッドに寝かせ、オムツを当てていた。

 それがいまは、最後の始末だけ。オムツ換えをしていた2か月前と比べたら、信じられないくらい楽になったのよ。

 その頃からよね。「ヒロコも一緒にご飯、食っちめ」と言い出し、母と娘の食卓を求めるようになったのは。ビールで乾杯、とかね。

 とはいえ、食事の途中で、「トイレ」と言われると万事休す。私は「はいよ~っ!」とテンションマックス! 母ちゃんの胸からナプキンを外して、可動式のテーブルを遠ざけ、車椅子をポータブルトイレの前に動かして、パジャマと下着とリハビリパンツを一気に下げる。この間、10秒かかってないと思う。そして用が済んだら、何でもない顔をしてポリバケツの中身を片付けて、食卓に戻る。

 それを私、連日したんだよね。「平気、平気」と自分に言い聞かせていたの。世話をする間、マスクをするのも忘れていた。

 1回1回はいいのよ。今日も明日も大丈夫。でも、それが積もり積もったある日、まったく別のことで、自分でも驚くほどのキレ方をした。

 家中の戸という戸を、最大の力で開け閉めしていた。「ふん、こんな家、潰れるなら潰れちまえ」と思って。あのとき、私の当たり散らしは家に向かったけど、何かの加減で母親に手をかけたかもしれないな~と、そう思うと怖くてたまらなくなる。

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