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閉店のアンナミラーズ 会長は「撤退ではありません。We shall returnと言いたい」

半世紀の思い出を語る井村屋グループ会長の浅田剛夫氏(撮影/内海裕之)

半世紀の思い出を語る井村屋グループ会長の浅田剛夫氏(撮影/内海裕之)

 あずきバーや肉まんで知られる井村屋(三重県津市)が運営するレストラン「アンナミラーズ」の国内最後の店舗である高輪店が2022年8月31日、閉店する。同社が閉店を発表した6月以降、高輪店には連日、名残を惜しむ客が殺到。なぜ“アンミラ”はこれほど愛される存在になったのか。現・井村屋グループ会長の浅田剛夫氏が、日本での1号店秘話から、制服、メニュー、新店の行方までを語った。【前後編の後編。前編から読む

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──1号店の青山店はオープン時から盛況でしたか?

浅田:1号店は宣伝をせず、スローな立ち上がりでした。ミラー氏の経営哲学がアンナミラーズの真髄になっていることが多く、1号店開店の時からずっと変わらないアンナミラーズのポリシーのひとつが「クワイエット・オープン」です。新店を出す時は静かにオープンしよう、宣伝も何もするなというのがミラー氏の揺るぎない考えなのです。

 オープン日は緊張しているし、どんなに準備をしっかりしてもミスは起こるもの。いらっしゃったお客様は不満を持って帰る……。「そんな日に、人を集めるためのセレモニーをするな」と言うのです。1号店のオープン日の売り上げは6万7000円でした。ウエイトレス全員に支払う日給より少なかったことは、今も忘れられません。

──知名度が高まり、人気が出始めたのはいつ頃だったのでしょうか?

浅田:1号店がブレイクしたのは、女性誌『anan(アンアン)』、『non-no(ノンノ)』が取材し、アメリカっぽいデザインの廊下などの写真が掲載されてからです。オープンから1年ほど経ってからですね。新タイプのトレンディーなレストランとして誌面で紹介されたことで、「青山にこんな店がある」と一気に情報が広がり、それからは火がついたように多くのお客様がいらっしゃいました。

──インテリアなどは米国から輸入したのですか?

浅田:米国から持ってきたものもありますが、ほとんどは日本で調達しました。日本での開業にあたり、店舗設計やインテリア、テーブルウエア、メニュー、ユニフォーム、テイクアウト用ボックスなど全体をデザイン、コーディネートしてくれたのが、一級建築士でデザイナーの今竹翠先生です。私が修業中のサクラメント店に数日間来ていただき、写真を撮ったり、現地スタッフからヒアリングしたりした後、私よりも先に帰国して開店準備を進めてくれました。

 コーヒーカップも当初から今竹先生のデザインで、国内の窯で焼いた特注の陶磁器です。現在も同じデザインのメイド・イン・ジャパンのカップです。とても凝った造形で、脚、柄(え)、カップ部分の3つのパーツを職人がひとつひとつ手でくっつけています。

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