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アンナミラーズ誕生秘話 「アメリカでの武者修行」を浅田剛夫・井村屋会長が語る

サクラメント店で修業中の浅田剛夫氏(右から2番目。当時・29歳。写真提供/井村屋)

サクラメント店で修業中の浅田剛夫氏(右から2番目。当時・29歳。写真提供/井村屋)

 あずきバーや肉まんで知られる井村屋(三重県津市)が運営するレストラン「アンナミラーズ」の国内最後の店舗である高輪店が2022年8月31日に閉店する。同社が閉店を発表した6月以降、高輪店には連日、名残を惜しむ客が殺到。朝から大行列ができ、週末は5時間待ちの日もあるほどだ。なぜ“アンミラ”はこれほど愛される存在になったのか。日本でのアンナミラーズの立ち上げから15店舗目の出店までを担当した現・井村屋グループ会長の浅田剛夫氏が、知られざる日本上陸秘話を明かした。【前後編の前編】

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──井村屋は米国のアンナミラーズ社とライセンス契約し、1973年6月、東京・青山に1号店を開店しました。日本上陸に向け、浅田会長は当時、米国のアンナミラーズ店舗で修行したそうですね。

浅田:1号店開店の半年前の1973年1月、トレーニングと開店準備のために渡米し、研修先のサクラメント店(カリフォルニア州)に送り込まれました。4月上旬までの3か月間あまり、パイやハンバーガーを作ったり、レジを打ったり、すべての作業を体験してレストラン・オペレーションを学びました。

 下の名前で呼び合う習慣を日本の店舗でも取り入れましたが、私は現地で「Tack(タック)」というニックネームで呼ばれていました。私の名前「たけお」がアメリカ人には発音しにくかったようで、「君はタックだ」と言われたことから、タックになりました。米国だけでなく、1号店の青山店時代から日本でもタックと呼ばれています。今でも店では、私は「浅田会長」でなく「タック」です(笑)。創業経営者のスタンレー・ミラー氏も当時から現在までずっと、私をタックと呼んでいます。

──開店準備のため米国の研修店舗でトレーニングしたのは、浅田会長だけですか?

浅田:いいえ、メンバーは私の他に2人いました。1人が井村二郎社長(当時)の長男・井村正勝氏(後に社長)、もう1人が川戸正行氏。それぞれの主な担当分野は、井村氏が経営全般、川戸氏が生産技術、私がレストラン・オペレーションでした。同じカリキュラムを履修しましたが、全員がレストランビジネスに携わるのは初めて。私はこのメンバーに選ばれるまでは井村屋製菓(現・井村屋株式会社)大阪支店で販売・営業を担当していました。ミラー氏から、これまでの仕事と異なるレストランビジネスへの意識改革の第一歩として「髪の毛を伸ばせ」と言われ、長髪にしたんですよ。

 研修期間中は接客をはじめ、朝4時から店でパイやパンを焼いたり、皿を洗ったり、掃除をしたりと走り回っていました。メニューのレシピはあり、スタッフは「この通りにやればいい」と話すのですが、そんな簡単なことではありません。アメリカの店の味に近づけなければならず、必死でした。

 研修期間中に毎日書いていた日記は2冊あり、今も大事に持っています。そのうちの1冊にはパイのレシピや調理ノウハウなどがぎっしり書き込んであり、チョコレートの染みが残っているページもあって、当時、一生懸命に勉強していた思い出が甦ります。

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