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閉店のアンナミラーズ 会長は「撤退ではありません。We shall returnと言いたい」

サクラメント店で修業中の浅田剛夫氏(右から2番目。当時・29歳。写真提供/井村屋)

サクラメント店で修業中の浅田剛夫氏(右から2番目。当時・29歳。写真提供/井村屋)

──あの一世を風靡したウエイトレスの制服も今竹先生のデザインなんですね。

浅田:基本的には米国の店舗と同じですが、今竹先生は日本人の体格に合うようにブラウスを日本独自の立ち襟にデザインしました。制服の色は当初から米国の店と同じ、オレンジ、ピンク、赤の3色を用意。チロリアンテープは探すのが大変だった思い出があります。

 私は1号店から15号店までアンナミラーズに勤務し、かなりの数の店舗でアルバイトの面接を担当していました。ユニフォームを着てみたいと思っていただいた女性の方は当初から多かったです。「かわいい」「着たい」と大勢の女性が制服に憧れてアルバイトに応募してくれ、人材確保には全く困りませんでした。今でも人気の高さは変わりません。

 1号店では井村正勝氏(後に井村屋社長)が店長を務め、私がマネジャー的な役割を担いました。店舗展開のマネジメントの仕事も担当でしたが、キッチンもフロアも関係なく、何でも屋でした。アンナミラーズの仕事は何もかもが初めてであり、井村屋には手本がありませんでしたから、試行錯誤で取り組みました。

 私は『ホスピタリティ・インダストリー(おもてなし産業)とアンナミラーズ』と題した指南書を執筆し、スタッフ全員に配布して学んでもらいました。すべてのメニューのレシピや調理ノウハウ、マニュアルも最初は手作り。アルバイトのための教育映像も手作りでした。

──制服のマニュアルも作ったのでしょうか?

浅田:当初から、かなり細かいユニフォームマニュアルを作ってありました。たとえば、後ろのリボンの結び方については「ぴっと張っていなければいけない」とか、エプロンの裾とスカートの裾の間は長すぎてはいけないといった規定があったと思います。

──アンナミラーズは日本のレストランでは初めてというサービスにも積極的でした。

浅田:コーヒーのおかわり無料サービスも日本のレストランでは初だったと思います。あのサービスは「ボトムレスカップコーヒーサービス」と言うんですよ。ボトムレス=底がない。底がないから、どれだけでも飲めるということに由来します。「何名様でいらっしゃいますか?」と入口でお聞きし、人数に応じて、その時点で一番いいポジションの席に案内するというサービスも日本では初めてだったと思います。

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