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ミツカンお家騒動の内幕 創業家から追放された元娘婿が「離婚成立後も中埜姓を名乗るワケ」

 2014年9月、当時の社長から突然「3か月以内に転職先を探すように」と通達されたという。この頃には、中埜家サイドから聖子氏への離婚勧告も始まっており、危機感を覚えた大輔氏は、義父母と元妻との会話などを録音するようになった。

 同年12月、渡英した和英氏夫妻は、聖子氏と幹部社員と共に密談の場をもった。そこで和英氏は「(大輔氏が)どうしてもミツカンにいたいんだったら片道切符で配送センターか工場に」「大輔の子供をもう1人産むっていうことは、私は反対ですよ」などと発言したという。翌2015年の3月には、和英氏や美和氏が出席した家族会議で、大輔氏を「種馬」呼ばわりすることもあったと報道されている。

 ついに同年7月には聖子氏から離婚が申し入れられ、大輔氏が離婚に応じないと回答すると、大輔氏はイギリスから、関西の物流センターへの転勤を命じられたのだった。

「日本とイギリスとで妻子と離れて暮らすことを余儀なくされた大輔氏が、それでも離婚に応じないでいると、2017年には離婚訴訟にまで発展。そして2019年6月に離婚が成立しました。その後、大輔氏が離婚強要などで、聖子氏や中埜家を訴えたのです。大輔氏が、この“お家騒動”についてメディアの取材に積極的に応じ、世間にも広まってしまいました。こうした一連の行動が会社に損害を与えたとして、間もなくミツカンを解雇されてしまったのです」(前出・ミツカンOB)

 中埜家との裁判で、中埜家側は《両親の考え方が被告聖子に何らかの影響を与えたとしても、最終的に被告聖子は自身の意思で離婚を決意した》と主張。大輔氏の訴えは認められなかった。裁判の判決について、ミツカンは次のように回答した。

「個人裁判であるため弊社からお答えできることはございません」

 一連の裁判に集中するため現在は無職だという大輔氏が胸の内を吐露する。

「この世にたったひとりの息子と引き離されるのはつらすぎます。息子に再会したときに彼とのつながりを残しておきたくて、離婚成立後も私は中埜姓を名乗り続けているんです。

 まだ離婚調停中の頃、離れて暮らしていた息子とスカイプで話したのですが、私のことを“おじさん”と呼んだことがありました。そこからスカイプで徐々に距離を縮めてきたなかで、2019年に離婚が成立。以来、4年間息子には会えていません。この間、スカイプの息子のアカウントに100回以上メッセージを送り続けていますが、返事もなく……私はなんとか息子との時間を取り戻したいのです」

 超有名企業を舞台に巻き起こったお家騒動。丸くおさまる日はくるのだろうか。

※女性セブン2023年3月2・9日号

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