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「意見をうかがいたい」と言われて意見を言ってしまったオバ記者の反省 「会話とは“やりとり”だけじゃない」の気づき

会話は「言葉のキャッチボール」とは限らない(イメージ)

会話は「言葉のキャッチボール」とは限らない(イメージ)

 コミュニケーションとは双方向のものだと思いがちだが、必ずしもそうではないこともある……。『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが、“会話”について考えたことを綴る。

 * * *
 出し抜けにナンだけど、ふだんの会話で耳ざわりなフレーズってないですか? 私の場合は、「この年になると」。気にしているせいか、最近やたら耳に入るんだわ。

「この年」とはどの年かというと、だいたい60才過ぎで、私より年下だったりする。で、その後が、たいがいつまんないのよ。「この年になると、着たい洋服なんかないからさ」「この年になると、行きたいところは行っちゃったからさ」「この年になると、食べたいものなんかないからさ」。もう、そんなことを言って何が面白いんだろ。

 さらにバージョンアップさせた言葉が、「年が年だから」だね。

「年が年だから、車を買い替えても仕方ないじゃない?」「年が年だから、いまさらスポーツクラブになんか入っても仕方がないし」とかなんとか。

 そう言われたら、こちらの返す言葉は「だよねぇ」一択。相手は私の意見なんか求めてないもの。「でもさ、これから少しでも快適に過ごすために、運転しやすい車に替えるって考え方もあるんじゃない?」なんて言おうものなら、「そうなんだけどさ」と返された後、気まずい沈黙が待っている。

 で、あるとき気づいたのよ。

「年」「歳」と言うときって、本当の理由は別にあるんだよね。たとえば金銭的なこととか、家族間のトラブルとか。それを言いたくないから、年のせいにして自分を納得させている。そうしたことは共通の友達から事情を聞いて後からわかるんだけどね。

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