ハムエッグは素通りできない
実は最強のつまみのひとつ
最初の赤星と同じに迷わず頼んでいたひと皿がきた。ハムエッグである。ああ、きたきた、と思う。日ごろ、自宅なり、旅先の宿なりで、朝食にハムエッグを食べることは、ありそうでいて、そう多くはない。しかし、こうした大衆酒場の壁にハムエッグの短冊を見つけると、私はそれを素通りできない。
玉子が2個。ハム1杯。千切りキャベツとパセリが添えてある。玉子の白身に周囲を固められたハムから、私は食べようと思う。いやしかし、黄身も一緒に口に入れたい。ああ、やはり、黄身もハムも白身もざっくり切って醤油をぶっかけ飯にのせて食べたい……。
そこへケンちゃんの言葉が飛び込んできた。
「玉子は半熟派ですかよく焼き派ですか?」
「はあ?」
「分かれますよね、僕はよく焼き派。オータケさんは?」
「私は両刀使い。よく焼きでなんら問題ないが、半熟なら黄身をわってチュウチュウもできる」
「はあ……。じゃ、アジフライはどうですか。ソースか醤油かという問題。僕はソースなんですよね」
「わたしゃ、醤油。断然、醤油」
会談は決裂した。が、このハムエッグ、とてもうまいので、ふたりして、むしゃむしゃと食べ、ビールを飲むのだ。
店内を見渡すと中高年が多い。男性が多いが、比較的に若いカップルの姿も見える。穏やかな平日の午後だ。
「かわいい、かわいいお嬢さん、お酒ちょうだいな」
お客さんが、店の姐さんに声をかけた。
「かわいいお嬢さんなんていないわよ」
「いやあ、それだけの器量だ。昔はもてただろう。おれは、お嬢さんとお付き合いできるなら、刑務所入ってもいい」
「はははは」
すごいな、気合が違う。姐さんの渇いた明るい笑い声が耳に心地いい。
おふたりとも、私より先輩と思われるが、なんとも肩の力の抜けた楽しい会話をする。還暦を過ぎて、ふと思えば、先輩たちと飲むことからずいぶん遠ざかっていることに気づく。私は、なぜか急に嬉しくなってしまう。
お客さんは日本酒を飲んでいる。コップ酒だ。壁の品書きを見て、どうやら「菊水 お晩です」という酒らしいと見当をつける。コップ1杯、もっきりで270円。超絶安い。
しっかり注いでくれて270円
このお客さんの飲みっぷりがまた、すばらしい。別のテーブルでお一人で飲んでいるさらに年かさの先輩と会話しながら、冷や酒を飲む。
「お嬢さん、お代わり」
「早いわね。もっとゆっくり飲んで。2分で1杯飲んでたら、たいへんだよ!」
目の前のグラスに酒があるとすぐに飲み干すクセがあるから、シングルモルトをストレートでやるのは要注意なんです。なんてことを私はこれまで何度か口にしてきた。しかし、2分で1杯の先輩を前にして、なんてしゃらくさいヤツだったのだろうと思い知らされた。かくなる上は、
「こっちもお酒、ください」
叫ぶしかなかろう。
ケンちゃんが頼んだやきとりの塩焼きが、辛口の日本酒によく合った。