シューマイで蘇る芥川賞受賞作の哀切
ラーメンと並ぶもうひとつの看板メニュー
入口のカウンターで一部いただいた「耕治」という小冊子をめくっていくと、創業70年を迎えたこの店がラーメンとシューマイを二枚看板としてメニューを増やしていったと記してあった。昭和30年代から40年代にかけての高度成長期に、街の中華屋さんとして愛された歴史を想像してみる。これぞ、本物の街中華の歴史ではないか。ああ、忘れちゃならない。シューマイを頼まねば……。
「すみませーん! シューマイください」
私が座った席の背後には、ニッチといわれる壁を凹ませたスペースがあり、そこに桃色の実をつけた美しい盆栽が飾られている。マユミという木だろうか。私にはわからないが、スペースを贅沢に使い、目を楽しませてくれる。街の中華屋さんは、多くの人に愛されながら、少しずつ変貌を遂げ、今、高級中国料理店へと変化を遂げたのだろう。
シューマイと一緒に頼んだのは温めた紹興酒だ。ザーサイ→紹興酒→シューマイ→紹興酒→ザーサイ。というループは延々と続いてしまいそうなほど、スムーズにおいしさをつないでくれる。
中華といえばやはり紹興酒だ
言葉は平たくなってしまうが、ザーサイもシューマイも、ちゃんと手をかけた、正統の味なのだ。食べ物にあまり頓着しなかったと伝えられる清張だが、故郷の小倉で通ったのは味で客を引き付ける名店であったのだ。
店の初代は、実は作家志望で、昭和28年に芥川賞を受けた松本清張に文章を見てもらっていた。清張自身も「耕治は俺の弟子だからね」と話すほどだったという。なんとも羨ましい交友なのだ。
私が思うに、松本清張は、実直でひたむきな初代の気質に惚れ込んで、長い付き合いを続けたのではないだろうか。酒を芋焼酎の水割りに替えた私は、ザーサイ→芋焼酎→シューマイ→芋焼酎→ザーサイという新しいループを味わいながら、ぼんやりとそんなことを考える。
芥川賞の受賞作『或る「小倉日記」伝』に描かれた小倉の、哀しくも美しい風景と、その風景の中で懸命に生きた母子の姿と哀切の感情が、ふと蘇ってきた。
『点と線』、『砂の器』、『ゼロの焦点』などの推理小説で松本清張に出会った私は、後年、この偉大な推理作家が直木賞ではなく芥川賞を受けて作家となったことを知った。そして、さっそく読んでみた受賞作が、私の心に沁みたのを、よく覚えている。
あれから何年経ったのか。清張ゆかりの店で、私はのんびりと昼酒を楽しんでいる。実に幸福な昼酒だ。

