島根県松江市出身の清原氏は名門・県立松江南高校から分子生物学を研究するため、現役で東大の理科二類に進んだ。
しかし在学中に全国から集った秀才たちを前に、自分の平凡さを痛感。上には上がいるという現実を直視し、新たな人生の目標を据えた。
「このまま普通に就職しても先が見えていて、大企業の役員や官僚を目指しても成功の確率は低い。自分のような凡人が世間に出て成功するには、大きな博奕を打つしかないと考えました」(清原氏・以下「」内は同じ)
そこで清原氏が就職先に選んだのが、国内最大級の証券会社・野村證券だった。
1981年に入社した清原氏が野村證券を選んだのは「株式投資で一発当てて人生に決着をつけたい」、「会社の費用で留学がしたい」という2つの理由からだった。
「当時の野村證券は“ノルマ証券”と呼ばれる不人気企業で、就職を支援する東大の学生課からは『やめておけ』と説得されました。しかし私には当時から“逆張り的発想”があったのです。周りが優秀でなければ留学できる確率が高くなると思い、『だからこそ野村證券だ』と考えました。結果としてその判断が大当たりとなりました」
入社1年目、海外投資顧問室に配属され、外国人投資家専用のアナリストとして鉄鋼・非鉄業界を幅広く担当した。
「当時の日本市場には勢いがあり、大量の外国人投資家が企業分析のため日本になだれこんで来て、通訳の不足から私は毎日駆り出されました。医薬品、建設、化学業界など何でもありですから、そのつど業界の専門用語を英語で覚えないといけません、死に物狂いで働いたおかげで英語の語彙が飛躍的に増えて様々な業界の勉強にもなり、のちのヘッジファンドの運用にとても役立ちました」
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※週刊ポスト2026年3月20・27日号