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元リクルート戦士たちの挑戦
元楽天副社長・島田亨氏が明かす「元リクルート」の強み

「起業直後のリクルート事件でどん底へ」元楽天副社長・島田亨氏が語るメガベンチャー「インテリジェンス」創世記 それは原宿の風船配りから始まった リクルートで身に付けた「因数分解」の極意まで

東北楽天ゴールデンイーグルスの運営会社・楽天野球団の社長としても活躍(右が島田亨氏。2009年撮影。時事通信フォト)

東北楽天ゴールデンイーグルスの運営会社・楽天野球団の社長としても活躍(右が島田亨氏。2009年撮影。時事通信フォト)

 楽天グループ元副社長であり、現在はベンチャー投資家として第一線で活躍する島田亨氏(61)。バブルの熱狂の中、宇野康秀(現U-NEXT HD社長CEO、62)らとともにリクルート・グループを退職し、インテリジェンス(現パーソルキャリア)起業へと乗り出した若き日の彼を待っていたのは、「リクルート事件」勃発という強烈な逆風だった。彼らはいかにして活路を見出し、人材業界を席巻するメガベンチャーを創り上げたのか。『起業の天才!――江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(新潮文庫)の著者でジャーナリストの大西康之氏が、島田氏に話を聞いた。【インタビュー・後編】

赤ちゃんのような会社

――正式に会社を辞める1989年9月までに、とんでもない事件が起こります。

島田:リクルート事件ですね。新しい会社(インテリジェンス)を一足早く6月15日に設立し、9月末までにリクルート(リクルート・コスモス)を辞める段取りだったんです。リクルートはそれまで社員の独立を応援する社風でしたが、事件ですっかり状況が変わってしまった。

 私が上司に相談に行くと「こんな大切な時に辞めるなんて」と言われ、新たに始める事業が人材ビジネスだと知らせると「お前ら、競合になる気か。絶対、潰してやるからな」と怒られました。

――社内が「一丸となって乗り切ろう」と言っていた時期でしたから、そう思われたんでしょうね。しかし、求人広告の王者リクルートが事件で動けないこのタイミングは、新興のインテリジェンスにとっては千載一遇のチャンスだったのでは?

島田:そうでもないんです。リクルートが動けないことで成長したのは日経ディスコさんとかマイナビさんとかの求人広告大手で、若造4人で作った赤ちゃんのようなインテリジェンスは相手にされませんでした。

 最初の1、2年は苦しくて、週末にはラフォーレ原宿の前でアパレル会社の開店セールスの風船を配っていました。宇野さんが風船をシューっと膨らませて、僕らが配る。3000個配って60万円。「これで今週も乗り切れるな」と月曜日から本業。そんな日々が続きました。

――飛躍のきっかけは何でしたか?

島田:『スチューデント・レポート』ですね。当時は日経連(現日本経営者団体連盟=経団連)の就職協定が学生の青田買いを厳しく禁じていたので、大企業が学生と接触できるのは4年生の8月から。しかし実際にはOBがこっそりゼミに顔を出すなど水面下の動きがあり、「そういう情報を出したら、企業が欲しがるんじゃないか」と。鎌田さんのアイデアです。

 そこで全国の学生とモニタリング契約を結び、毎晩電話で「○月×日、□□商事のOBが○○大学の△△ゼミに来た」「○月×日、△△工業がこんな会社説明資料を××大学に配った」という情報をあげてもらい、それを編集して企業の人事担当にファックスで送ったのが『スチューデント・レポート』です。

 年会費が35万円で、500社強を集めれば2億円の売り上げが立ちます。経費は学生のアルバイト代くらいなので1億5000万円くらいの利益が出ました。これをきっかけに大企業の人事部と仲良くなり、会社案内の作成など採用周辺の様々な仕事がもらえるようになりました。

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