中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

テレビはなぜ「演出」をするのか 現場から感じられる苦悩と傲慢さ

「解説をするのは構いませんし、記事に出ていた女性は私の知り合いです」と伝えます。すると「その方の連絡先も教えてください」となる。私はAさんの許可を得たうえで、連絡先を伝えました。

 そして、我々は個別に取材を受けたのですが、「やっぱテレビの人は辛いだろうな……」と思うことがありました。私の場合は、元々「日本のCIAと呼ばれることもある」と言及していただけに、ディレクターからは「『こうしたことから“日本のCIA”とも呼ばれることもあるんです!』と言ってください!」とお願いされました。

 私の知り合いのAさんも「『私は“鬼女”です』とまずは最初にキメのセリフを言ってください!」とお願いされました。お互い「しょうがねーなー」といった気持ちはもったものの「明日オンエアです!」みたいな状況なだけにここでモメても仕方がないため、その要望に従います。

 これがテレビで「過剰演出」がまかり通る理由の一つでしょう。多分に体育会的な「これじゃぁ、キャッチーじゃないんだよ!」みたいなことをエライ人から言われ、下っ端が後で苦しむわけですね。

 テレビの仕事をするたびに「彼らは元から決まっていた流れに従うコメントがほしいんだろうな」ということは思うようになります。だから100%同意できぬものの、85%ぐらいは同意できる発言をするように出演者もなっていくし、要望にも応える。

『テラスハウス』の件については、これが行き過ぎた例でしょう。相手が「専門家」「一般人」であれば、「さすがにこれ以上は番組の筋書き通りにはコントロールできないな……」といった遠慮はあるものの、夢を持って出演する若者に対しては「この番組でブレイクすることは可能なんだけどね。キミ、もっと我々の要望に応えて欲しいんだけど……」といったゴーマンさはあったかもしれません。

 こうした「演出」が発生する背景には「視聴者はこれくらいシンプルでなくては理解できない」という見下した感覚があるのでは、とも思っています。

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