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世界を目指した孫正義氏にとって「コンパス」だったスティーブ・ジョブズ

 しかし2011年10月5日、孫は大切なコンパスの一つを失ってしまう。ジョブズが死んだ。享年56、膵臓がんだった。孫は沈痛なコメントを残している。

「スティーブ・ジョブズは、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才だった。数百年後の人々は、彼とレオナルド・ダ・ビンチを並び称する事であろう。彼の偉業は、永遠に輝き続ける」

 ジョブズを失った心の空白を埋めるかのように、孫はここから怒涛の進撃を始める。2012年には1兆5700億円で米3位の携帯電話会社、スプリントを買収。米国の携帯電話市場に打って出た。孫は返す刀で米4位のTモバイルの買収に乗り出す。3位と4位を統合すれば、ベライゾン、AT&Tモバイルの二強に肉薄する。

 世界の壁を突き破ろうとする孫の前に立ちはだかったのが米国の連邦通信委員会(FCC)だ。大手4社が3社になることにより「米携帯電話市場の寡占化が進み、競争が阻害される恐れがある」。そう考えるFCCはなかなか合併を認可せず、そうこうするうちにスプリントの業績が悪化していき、逆にTモバイルがスプリントの買収に乗り出した。

 米国でのドナルド・トランプ大統領への政権交代もあり、2020年4月にはTモバイルによるスプリント買収が認められることになった。スプリントの株主だったソフトバンクは合併した新会社の大株主になったが、経営の主導権はTモバイルにある。結局、孫は新会社の株をTモバイルに売り、米国の通信市場から撤退することを決めた。

 日本の通信会社が「世界の壁」に行く手を阻まれたのはこれが初めてではない。2000年代前半にはNTTドコモが海外の通信会社に次々と出資した。日本で大ヒットしたモバイル・インターネット・サービスの先駆け「iモード」の普及を狙ったのだ。しかし2007年にiPhoneが登場すると、iモードはあっという間に陳腐化し、ドコモは海外投資で1兆5000億円の損失を計上した。

 楽天は、アミン副社長が中心となり自社開発した携帯電話の感染仮想化技術「楽天・コミュニケーションズ・プラットフォーム(RCP)」輸出で、日本の通信会社として三度、海外に挑むことになる。ただRCPは既存の通信会社や通信機器メーカーの既得権を脅かすことになるため、政府の規制などを絡めた激しい抵抗にあう恐れもある。

 一方、5Gへの対応で膨大な設備投資を強いられる各国の通信会社は、政治的に導入が難しくなっている中国・華為技術(ファーウェイ・テクノロジーズ)に代わる「チャイナ・フリー」の通信インフラを求めており、そこにRCPがぴたりとハマる可能性もある。国家の安全保障とも密接に関わり、「グローバル化が最も難しい」と言われる通信ビジネス。

 三木谷の挑戦は「三度目の正直」になるのか、それとも「二度あることは三度ある」になるのか。その成否は日本経済の未来に少なからぬ影響を及ぼす。

第4回に続く)

【プロフィール】
大西康之(おおにし・やすゆき)/1965年生まれ、愛知県出身。1988年早大法卒、日本経済新聞社入社。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年4月に独立。『ファースト・ペンギン 楽天・三木谷浩史の挑戦』(日本経済新聞)、『東芝 原子力敗戦』(文藝春秋)など著書多数。最新刊『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(東洋経済新報社)が第43回「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」最終候補にノミネート。

※週刊ポスト2021年8月27日・9月3日号

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