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ノジマ社長が打ち出した「リアル店舗追求」「80歳まで働ける制度」の狙い

野島廣司社長が量販店競争を生き抜くための戦略を語る(撮影/山崎力夫)

野島廣司社長が量販店競争を生き抜くための戦略を語る(撮影/山崎力夫)

 コロナ禍の巣ごもり生活により、家電量販店のオンライン販売が活況だ。商品調達力の強化とともに、ポイント還元などの戦略で「他社より安く」を追い求める熾烈な争いが繰り広げられている中、そうした競争と距離を置いているのが神奈川県を地盤とするノジマだ。同社の創業家トップ、野島廣司社長(70)の戦略とは──。

──平成元年(1989年)当時は何をされていましたか。

野島:私が大学を卒業して家業の野島電気商会(現ノジマ)に入社したのは1973年。5年後の1978年に取締役となり、1989年は年間売上が100億円弱ぐらいだったと思いますが、その10倍の1000億円を目指して貪欲に会社を成長させていった時期ですね。

──入社時から「将来の社長」となることが前提だったわけですね。

野島:当時は母が社長を務めていましたが、実質的にはすでに私が会社を切り盛りしていました。ところが1991年に母は私を専務に、弟を常務に据えました。世襲企業の順当な昇格人事に見えますが、実際は経営の決定権を弟に与え、言わば私はお飾り状態にされてしまったのです。

──“お家騒動”の原因は何だったのですか?

野島:母は「家業の域を出ない程度にやっていきたい」という方針でしたが、私は「会社は永遠に成長していかないと従業員を幸せにできない」と考えていました。追い求める経営スタイルに隔たりが生じていたのです。

 結果、業績はみるみる落ちていきました。幹部社員たちが危機感を抱き、経営の権限を弟から私に戻すべく動き始め、当時の社外役員や監査役も私を支持してくれました。その結果、1994年に私が社長となり、母や弟は辞任しました。昭和の終わりから平成にかけての数年間は、私にとっても会社にとっても大激動の時代でした。

──社長になって掲げたのは「全員経営」という方針でした。

野島:経営に当事者意識を持ってもらうために、グループ会社を新たに10社立ち上げ、社内から10人を抜擢して社長を任せてみたりもしました。しかしながら、なかなか成果が出ない。

 そこでもともと取引関係があり、経営者として尊敬していたソニーの大賀典雄会長(当時)にご相談したのです。ソニーさんは数多くの子会社・関連会社を持っておられ、次々と社内から優秀な幹部を輩出しているので、お知恵を拝借したいと考えたわけです。

──大賀氏はどのようなアドバイスを?

野島:大賀会長は、「一番大事なのは社員の愛社心。たとえば、若くして抜擢した社員が失敗した時、制度が悪いとかマーケットが悪いとかでなく、素直に自分の失敗と認めた者を大事にしなさい。そうすればその社員に愛社心が生まれ、失敗を取り返そうと努力してくれる」と教えてくださいました。

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