Must、Can、Will、Fantasy
――以前にインタビューした教育実践家の藤原和博さん(元リクルート・フェロー、杉並区立和田中学校校長在職時に、「よのなか科」などを導入して大改革を成功させた)が同じようなことを言っていました。
藤原さんは和田中でさまざまなことを試して、その中から生徒や先生、父兄の反応がよかったものだけを残して学校改革をやった。その成果は凄まじく、子どもたちが目をキラキラさせて学ぶようになり、杉並区の底辺校だった和田中が瞬く間にトップ校になった。
メディアも大いに取り上げたので、全国の校長や先生たちがこぞって見学に来た。それこそが藤原さんの狙いで、和田中でやったことが全国に広がれば、日本の教育を変えられると思っていた。ところが、見学者は皆、「これは素晴らしい」と誉めて帰ったあと、自分の学校ではやらない。
「民間企業でこれだけ業績を上げている会社があったら、みんな一生懸命研究してあっという間にパクるよね。結果、各地で実績が生まれ、それがやがて業界のスタンダードになる。でも。教育の世界ではそれが起こらなかった」(藤原さん)
重鎮の先生方は「教育というのはそういうもんじゃない」とおっしゃるわけです。
伊藤:教育界も政界も、フォーマリティー(形式的な儀礼)が強すぎます。重鎮たちはこぞって、子どもたちに必要なのは、学びとはこんなに楽しいものだったのかという「内発的動機付け」だと言うのに、結局は内申点や受験、就職などの「外発的動機付け」で統制を図ろうとする。
――無謬性の罠にハマっている教育者や政治家は、他者の評価を嫌います。一方、リクルートでは他者にガンガン評価されます。リクルートにある360度評価は、社員の仕事ぶりを上司だけでなく、同僚、部下、そして自分自身も評価する制度で、アルバイトの方に「今度のマネージャーは目標達成動機が弱いですね」などとダメ出しされたりもします。
伊藤:あれ、怖かったですよね。上司、同僚、部下に加え、クライアントにまで評価されるので、いつも震えていました。ただ私の上司は、他者評価の高低を見るのではなく「自己評価と他者評価の差違」つまり、自分が思っている自分の姿と、他者から見た自分の姿に乖離が少ない人ほど高く評価し、自分を客観視できている状態か否かを重視していました。
Must(自分が果たすべき役割)、Can(自分ができること)、Will(自分がやりたいこと)、Fantasy(自分がいつか到達したい場所)の共有を通じて、「会社はあなたに何を期待し、どこを評価するか」というゴール設定のすり合わせが徹底されていたと感じます。
――リクルートというのは、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」を社訓とした創業者の江副浩正さんをはじめ、東京大学教育学部で心理学を専攻した人たちが中心になって作った会社なので、人事や組織が極めて科学的なんですよね。日本のサラリーマンのほとんどが滅私奉公していた1960年代に、彼らは「モチベーション」という言葉を使っています。
伊藤:モーレツ社員の時代にそれは斬新です。たしかに私がいた頃も、豪華参加賞が貰える新規事業コンテストや、風変わりな実地研修、寸志まである休暇制度。半年に1度のキックオフでは、感動的なビジョンムービー(自分が所属している組織の使命や、商品の未来予想)が流されるなど、モチベーションを高める仕掛けがたくさんありました。
それに、やることをやっていれば、服装や髪形も自由なので、2008年に本社を銀座から東京駅八重洲口のグラン東京サウスタワーに移した際、ビルに入っている他のテナントさんから、「リクルート社員が下駄をカランコロンと鳴らしながら出社するのはやめてほしい」とクレームが入ったそうです。
他にも、ものすごく仕事はできるけど、毎日必ずトイレの個室で15分寝る人や、1つの会議でポストイットを100枚消費する人。なぜか写真を撮るときはアフロヘアのかつらをかぶる人や、オフィスでギターを弾く人もいました。いわゆる異能を愛し、その人のB面を面白がってくれるようなところがありました。