大阪・関西万博で話題になった「空飛ぶクルマ」
自己流のネットビジネス
――シーガルスはリクルートの実業団から、オービックさんをメインスポンサーにしたクラブチームに変わりました。
宮内:33歳でチアを引退しまして、「さあ、仕事にコミットするぞ!」と張り切っていた私に新しい機会をくれたのが、「じゃらん」の編集長、北村吉弘さん(元リクルートライフスタイル社長)でした。
――それは紙の情報誌の「じゃらん」?
宮内:そうです。そうです。地方版もたくさんあって元気な頃の紙の「じゃらん」です。私は編集でしたが、営業の人たちと同行して「こんなプランを作りましょう」「この宿は、こういう切り口で訴求しましょう」と、全国の旅館、ホテルを回らせてもらいました。そして編集長が北村さんだったのですが、結局、私は紙の編集を半年しかやりませんでした。
――なぜ?
宮内:今から思うと、これがいちばんありがたかったのですが、北村さんに「『じゃらんネット』を強化するから、一緒にやらない?」と言ってもらったのです。2007年のことです。
――紙の「じゃらん」にいた人がごっそりネットに?
宮内:いいえ、紙の「じゃらん」から「じゃらんネット」に移ったのは北村さんと私だけです。北村さんと並ぶマネージャーのポジションに出木場久征さん(現・リクルートホールディングス社長)がいて、to C(消費者向け)のネットビジネスを作れる人材を積極的に外部から採用していました。すぐに20~30人の所帯になったと思います。
コーディングもできない私がWebマーケティングの担当で、SEO(グーグルなどの検索エンジンで自社サイトを上位表示させる施策=検索エンジン最適化)なんかをやっていました。
――ネットビジネスは誰に教わったのですか?
宮内:そういうのはなくて。ネットビジネスって、結果が全部教えてくれるんですね。コンバージョン(成約)の数字を見て、できるだけ早く次の手を打つ。PDC(計画・実行・検証)を回すわけです。
その数字を見て出木場さんや北村さんと一緒に、喜んだりがっかりしたりする。そこだけ見れば、今のスタートアップと同じ景色です。
――当時のリクルートは圧倒的に紙の情報誌で稼いでいたわけですが、エース級の出木場さん、北村さんがネットをやる、というのは社内でどう見られていたんでしょう。
宮内:他の人はどう見ていたか分かりませんが、私は、お二人は「営業マンのトップ」というより「未来を作れるエース」だなと見ていました。
じゃらんネットのブランディングも担当させてもらい、北村さんと猫の「にゃらん」のオーディションもやらせてもらいました、楽しい思い出です。
