中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

三国志武将で優秀なビジネスマンは誰だ? 張魯に学ぶPR戦略

 ゲーム『三國志』シリーズは相当な歴史考証を経て作られているので、これが当時の勢力分布図だったと見ていいでしょう。同シナリオの開始時を見ると、曹操が18か国を支配し兵士数は40万8000、2位は孫権で6か国26万4500人、そして劉璋は3位に入り4か国15万500人です。張魯は4位の馬騰に次ぐ5位で6万500人。劉璋が頼むに至った劉備は1か国支配で8位となる2万8500人の兵士しかいません。

 もちろん、劉備が劉璋に招かれて蜀に行くのは赤壁の戦いの後で曹操が一旦勢いを失い、劉備も「荊州4弱」を倒して勢力を拡大した頃なので劉備の勢力は圧倒的に増えています。しかし劉璋ですよ。なんでお前は小国である張魯を自分で叩かないのだ。しかも、張魯のことを「怖いよ怖いよ」と言い続ける始末。私の知り合いの敏腕広告マンは、「あの人はなんかすごい人脈を持っていて、下手すりゃ総理大臣も動かせるらしいよ」みたいなことを言われることもありますが、勝手に日本を動かすフィクサー的な扱いをされ、本人も特にそれは否定しません。何事も「大物だと勝手に思ってもらえる」方が得するわけです。張魯はそれをよく分かっていたといえましょう。

 そのように思ってもらえるのも「宗教で国を治めていた」という一風変わったガバナンスを発揮していたからでしょう。「あの国は敵に回すと怖い」といった感覚を抱かれていました。今のビジネスマンでいえば、前出の広告マン的な人もそれにあたるでしょうし、やたらとツイッターのフォロワーが多いサラリーマンやPVの高いブログを運営するサラリーマンもそれに相当するかもしれません。張魯のセルフブランディング力はなかなかのものがありました。

あの馬超までも屈服させた手腕

 結局、張魯という君主は、「米を納めれば幸せになれる」ということで人心を掌握しつつ、さらには米という国家運営の基盤を成す実利も得られるという偉業を達成するわけです。さらには、「我が国は強いからな」というイメージ戦略で曹操・劉璋・劉備をも震え上がらせる。

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。