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北尾吉孝氏「相場が一番正しい」 コロナ禍で日本株が底堅い理由は

「孫さんのおかげで今がある」

──「相場がすべてを教えてくれる」という感覚はいつ培われた?

北尾:やはり野村證券時代の経験が大きいですね。僕は1982年から野村證券のニューヨーク支店に駐在していました。この時代、日本株の売買で1日に800億円の売買記録を樹立したりもしました。これは今でも破られていない記録だそうです。情報収集と分析を尽くし、丁寧な説明でお客様と信頼関係を築くことで達成できました。

──その後、1987年に帰国し、事業法人部所属となります。

北尾:当時、国内営業を入社以来一度も経験せず海外から事業法人部に行ったのは僕が初めてでした。個人営業で成績を上げた社員が、次に法人相手にステップアップするという野村の慣例の中では異例中の異例でした。

 担当企業も日立製作所や三井物産、富士フイルムやホンダなど最初から名だたる大企業ばかりでしたね。

 敬愛していた田淵義久社長(在任1985~1991年)や鈴木政志副社長(後に会長・社長)は、事業法人部の次長でしかなかった僕に、「お前は次の次(の社長)だ」と言ってくれました。

──しかし1995年にソフトバンクにスカウトされ、野村を去ることになります。1999年にはソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)代表取締役社長に就きました。

北尾:昨年のSBIホールディングス創業20周年パーティでは、孫正義さん(ソフトバンクグループ会長兼社長)がスピーチで「今日のソフトバンクがあるのは北やん(=北尾氏)のおかげです」と言ってくれた。

 僕も「SBIが今日あるのは孫さんのおかげだ」と、心の底から思っています。ソフトバンクでインターネットに触れたおかげで、その先進性と金融業との親和性に気づくことができました。

【プロフィール】北尾吉孝(きたお・よしたか):1951年兵庫県生まれ。1974年慶応義塾大学経済学部卒業後、野村證券入社。1978年英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。1989年、ワッサースタイン・ペレラ・インターナショナル社(ロンドン)常務取締役。1991年、野村企業情報取締役。1992年、野村證券事業法人三部長。1995年、孫正義社長の招聘によりソフトバンク入社。1999年ソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)を設立し社長就任。現在は、証券・銀行・保険などのインターネット金融サービス事業、新産業育成に向けた投資事業やバイオ関連事業などを幅広く展開するSBIホールディングス代表取締役社長。ライブドアによるニッポン放送買収騒動ではニッポン放送とフジテレビのホワイトナイト(敵対的TOBの防衛者)として颯爽と登場、一躍、時の人となった。著書にベストセラーとなった『何のために働くのか』をはじめ、『君子を目指せ 小人になるな』『修身のすすめ』などがある。その先見の明は政財界から常に注目されている。

●聞き手/河野圭祐(ジャーナリスト):1963年、静岡県生まれ。経済誌編集長を経て、2018年4月よりフリーとして活動。流通、食品、ホテル、不動産など幅広く取材。

※週刊ポスト2020年7月3日号

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