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才能ある子もそうでない子も幸福にしない「日本の義務教育」というシステム

平均から少しでも下の烙印を押されると…

 さらに池田氏は、誰もが等しく受けられる義務教育自体が、学力格差を拡大する要因となっている面もあると指摘する。

「日本の公立小学校や中学校では、基本的には全員が同じ授業を受けています。平均的な能力の子の場合は、授業の速度や進め方に困ることはほとんど無いでしょうが、そのレベルに達していない子はそうはいきません。教師の話はチンプンカンプンで、みるみる差が付いてしまいます。

 しかし、だからといって落ちこぼれそうな子にレベルを合わせて授業を行えば、平均的なレベルの子たちの時間を持て余すことになり、それはそれで具合が悪いということになる。日本の公教育は平均的な者に最も手厚く、平均的な者が一番得をするように出来ているのです。

 本来なら習熟度別にクラスを編成するほうが合理的だし、結果的には公平なのだけれど、義務教育でそうやって序列を付けると、格差が顕在化して、いじめなど別の問題が生じかねない。“普通が一番”という感性が子供にまで浸透している日本では、平均的とされるレベルから少しでも下の烙印を押されると、一気に生きづらくなってしまうのです」

 平均的なレベルの子に合わせた教育システムは、平均より高い能力のある子にまで悪影響を及ぼす可能性もある。

「『歴史上最高の数学者』と呼ばれるカール・フリードリヒ・ガウスは、小学1年生の時『1から100までの数を全部足しなさい』という問題を一瞬で解いてしまったといいます。ガウスほどではなくても、人並み外れた才能を持つ子は一定数います。そういう子にとっては平均レベルの勉強など容易いものなので、本来であればもっと難しい問題に挑むチャンスを多く与えるべきです。

 例えばアメリカでは、州によって違いはあるものの、基本的には能力に応じた学年に子供を配置する方針が取られています。優秀だと認められれば小学校を早々に卒業出来たり、飛び級で大学に入学することもできます。『ギフテッド』と呼ばれる突出した才能に恵まれた子を、国を挙げて支援する環境が整えられているのです。

 しかし、年齢に応じた“平等”な教育を貫く日本では、飛び級が認められるのは千葉大学などごく一部の大学と大学院だけで、少なくとも義務教育過程では一切認められていません。そのため、授業がどれほど物足りなくても、中学を卒業するまではただ我慢して過ごすこととなります。当人にとっては大いなる時間の無駄遣いと感じることもあるでしょうし、場合によっては類稀なるキャパシティを生かしきれないまま、その後の人生まで影響を及ぼす可能性もある。能力を無視した『平等』なシステムのおかげで、せっかく稀有な才能があっても宝の持ち腐れになりかねないのです」

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