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「20年ぶり円安」で日銀はどう動く? 過去の例からわかる「為替介入」の難しさ

 日銀の為替介入といえば、24年前の寅年(今年も寅年)の1998年の相場を思い出す。ドル円相場は1995年に戦後初の80円割れとなり、当時日銀は円高是正のために円売り介入に躍起になっていた。G7(先進7か国)も為替動向を懸念して、秩序ある円の反転を望む声明を出したことでようやく底を打った。ところが、そうこうするうちに今度は円安が進みすぎてしまい、1997年に日銀はとうとう円買い介入を始めたのだ。

 この頃のことはよく覚えていて、日銀は朝から執拗にドル売り・円買いを繰り返したが、昼休みに入るとまた円安へと上昇。後場に円買い介入して再び円高に振れるも、海外のマーケットでまた円安に進むということが繰り返された。それでも、なんとか米国に根回しができたようで、145円に到達した時にはさすがに米国も重い腰を上げ、日米協調の円買い介入を実施した。

 さすがに協調介入は効いて、1998年6月にいったん落ち着いたが、その後再び反転し、147円65銭をつけるまで円安は進んだ。やがて「アジア通貨危機」の影響を受けて円高に転じ、同年10月に米ヘッジファンドLTCM(ロシア通貨危機で破綻したノーベル経済学賞受賞者2人を含むスタッフによるヘッジファンド)が破綻したことから、ドル円相場はわずか2日で20円もの下落を演じた。

1995年には、戦後初めて1ドル=80円を割る場面も(写真/1995年、時事通信フォト)

1995年には、戦後初めて1ドル=80円を割る場面も(写真/1995年、時事通信フォト)

当局の介入でも相場の流れを変えるのは困難

 ところが、それでは終わらなかった。日本政府が円安収束でホッとしたのもつかの間、今度は100円割れ阻止のため円売り介入を始める。そして、2008年のリーマン・ショック後にドル売り・円買いが進み、再び円高に。2011年の東日本大震災当時も協調円売り介入があったが、その後も2012年まで円高は収まらなかった。

 その後、アベノミクスが始まり、日銀が異次元の金融緩和に乗り出したことでようやく円安へと転じ、2015年に125円台まで達した際には、いわゆる「黒田ライン」が話題を呼ぶようになった。英国のEU(欧州連合)離脱などで100円を割ることもあったが、昨年初めからは緩やかな円安基調が続き、現在に至る。

 私は1985年から28年間、外資系銀行の為替ディーラーを務めたが、1998年の円買い協調介入で今でも思い出すことがある。USD/JPY(ドル買い円売りのポジション)を買おうと思い、当時勤めていた外資系銀行のニューヨーク本店に電話をした時のこと。協調介入の効果があまり出ておらず、USD/JPYが下げ渋っていた頃だと思うが、ニューヨークのディーラーは、私が買おうとすると、「ちょっと待て、いま50銭下のレートが売られている」と言うのだ。

 これは、日銀のFRB(米連邦準備制度理事会)を通した委託介入の玉だった。海外の中央銀行は介入に効果がないと分かると、少なくともしばらくの間は介入を見合わせるのだが、日銀はそうではなかった。効果が出ていなくても介入を続ける日銀の委託を受けて、FRBの担当者も仕方なく売っていたようだ。確か、BOE(英国の中央銀行であるイングランド銀行)も日銀に委託されて、USD/JPYを渋々売っていた記憶がある。それでも介入の効果は出ない。莫大な資金が動く為替相場において、当局の介入によって相場の流れを変えるのは、非常に難しいことだと痛感させられた。

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